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『すべての夜を思い出す』短評 —フレームの関節を柔らかく—

清原椎『すべての夜を思い出す』は、フレームの関節が柔らかい映画だ。冒頭、団地の近くの原っぱに集まる演奏家たち5人を写すカメラはかれらの間をゆらめくように移動し、しまいにはかれらをフレームから外す。フレーミングとは世界を選ぶと同時に選ばない世界を切り捨てることでもある。友人を訪ねて団地を訪れた知珠が、広場で踊っている夏を見て一緒に踊りだす場面では、画面右に知珠を、そして画面の左奥にぼやけた夏を配置する。けっしてカットバックは用いず、ひとつの画面のなかで、ダンスをする夏とダンスを模倣する知珠を収める。そのカメラポジションの選択に現れているのは、世界を「選択されたもの」「選択されないもの」に区分けすることへの躊躇だ。世界は、フレーミングの前にも後にも当然フレーミングを横断して存在しているのだから、その横断っぷりを描くこと、それこそが『すべての夜を思い出す』がねらっていることだと思う。身体が柔らかくないとダンスはできない。フレームの関節を柔らかくしないと、世界を描くことはできない。『すべての夜を思い出す』のカメラはそのことを物語っているように思う。

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