【気管切開から間も無く2年❗️発症から6年半の進行日記❗️私の中の『ALS観』とは⁉️】
私は2013年年末にALSを発症しました。そこから現在に至るまでの経緯とその時々の思いを記します。
・2013年年末、帰省時(当事は東京勤務)に箸が使い難く感じる
・2014年2月脳のMRIを撮り異常なしを確認
→一安心
・2014年2月FC岐阜社長のオファーを受けて、単身岐阜県山県市の実家に転がり込む
→右手の違和感にはモヤモヤ
・2014年4月FC岐阜社長に正式に就任
→岐阜県を盛り上げるぞ!
・2014年5月FC岐阜チームドクター(整形外科医)の勧めで精密検査をしてALSと診断を受ける、肢体リハビリ開始
→当事の症状は右手の違和感のみ、何の実感もなく、とにかくFC岐阜社長業に邁進
・2014年8月に別の病院でセカンドオピニオンをとるもやはりALSと診断
→この時点で既に右手の握力は鞄を持てないくらいに低下、初めて妻の前で泣きじゃくる
・2014年11月家族が岐阜市に引越し、実家を出て同居
→6歳の娘と3歳の息子を抱え、妻が私を介護
・2015年1月世間にALS公表
→とにかく『天職』であるFC岐阜社長を続けたい一心
・2015年2月自分の声を録音
→合成音声ソフトボイスターという形で声を保存
・2015年3月娘の卒園式当日、4月FC岐阜試合当日、5月妻の実家で相次ぎ転倒して鼻を折り、額にはまだ傷が残る
→迷惑をかけられないと車椅子利用を決断、途端に下半身は凄い勢いで進行
2015年7月ラジカット国内使用認可おりる
→7月2日から使用開始、私には救世主!明らかに進行緩やかに
2015年8月他人介護を受け入れる決断、嚥下リハビリ開始
→これまで全ての介護を妻が担う、これ以降も完全他人介護体制になるまで妻の生き地獄は続く
2015年9月胃ろう増設手術
→早めの対応、その後も1年以上胃ろうは使わずに口から食べ続ける
2015年11月FC岐阜社長辞任を発表
→『天職』をALSに奪われて人生初の路頭に迷う、進行により言語コミュニケーションもほぼ失われていた
2016年1月社会とつながりたい一心で一念発起してブログ、Facebook、Twitter開始、また重度訪問介護利用開始
→様々な方々とつながりALSと共に生きる知恵を学ぶ、iPadを見様見真似で操作開始
2016年2月口文字使用開始
→言語コミュニケーションを諦める
2016年2月オーダーメイド車椅子完成
→これまでと比較して日常生活の姿勢的苦痛は改善
2016年6月30日クラウドファンディングで創業資金を募り、株式会社まんまる笑店設立、代表取締役社長に就く
→さあ、仕事するぞ!以降現在まで約80回の講演、あらゆるジャンルの誌面に執筆を行う
2016年7月車椅子ごと乗り込める福祉車両納車
→岐阜県は車社会、これでどこでも行ける!
2016年10月ボランティア募集開始
→仕事する上でも日常生活でもとにかく介助者が足りない
2017年前半経口摂取が困難になり胃ろうがメインになる、ネブライザー、カフアシストで排痰も行う
→食べるのが生きがいだった私が生きがいの一つを諦めた
2017年全般、進行に伴いひたすら市役所と重度訪問介護の時間数を増やす交渉
→制度条文と睨めっこして、私の境遇と似た他者事例を探し、何度も市役所に通った結果、気管切開前では300時間が限度と当初言われていたのから580時間の支給を受ける
2018年春先ベッドでの就寝が困難になり、トイレとシャワー浴以外24時間車椅子生活が始まる、同時期に鼻マスクで呼吸補助を行う
→ベッドに仰向けになると息苦しさを感じ車椅子で就寝、不眠症も重なり妻も夜たびたび起こされお互い疲労困ぱい
2018年5月40歳になる、介護保険へ移行
→制度に詳しいケアマネさんのおかげでスムーズに移行
2018年7月肺炎の疑いで入院、3日後に呼吸困難に陥って死にかけて気管切開の決断を迫られる、入院中に重度訪問介護744時間の支給を受けて完全他人介護体制に移行
→2018年4月から認められた入院中も重度訪問介護が使えるをフル活用
2018年8月31日気管切開及び喉頭分離手術
→いよいよ完全に声を失う、常時人工呼吸器装着の生活
2018年10月退院、在宅生活スタート
→私の居室を作るために自宅全面模様替え、最大電力増強、コンセント移設・増設、最新空調完備、移乗用リフト・電動ベッド・エアマット・アモレのレンタル準備
2019年4月ALS協会岐阜県支部長として新体制発足
→岐阜県の患者さんの相談を受ける
2019年7月iPad操作を口に移行
→タイプスピードが飛躍的に向上し、執筆にストレスがなくなる
2019年12月聖火ランナー内定
→一生に一度のチャンスを掴んだ!
2020年1月学生ヘルパー育成プロジェクト開始
→慢性的なヘルパー不足を打破するスキーム、7月に第一号誕生!
2020年3月コロナで講演の仕事が全てなくなる
→だいぶ病みましたが、周りの応援で復活
2020年5月岐阜県支部会員総オンライン化プロジェクト開始
→患者はオンライン(メール、SNS)なら直接連絡出来るので、交流が活発になることが狙い
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このように気管切開の入院を機に完全他人介護体制を確立して、退院後も体制を維持することでやれることの幅がどんどん広がっています。人工呼吸器をつける前の方がよっぽどしんどかったです。
これほどALSという病気は『人の手』で生活が一変します!皆様の少しずつの支援があれば、患者もその家族も普通に生きられます!人間は誰もが支え支えられて生きています。それは健常者も障害者もALSも同じだとどうか分かってください!ALS患者だって誰かを支えたいと心底思っています!
恩田聖敬
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