ふと思いついたこと

今日、友達とLINEでずーっと語らいというか、私の愚痴を聞いてもらってたんだけど、その中で、
「別に私は私の大事にしたい人を大事にして、周りが求めてるならそれに合わせるもよし、しんどければ離れるもよし

自由だ。」
って言ったら褒められた。

近いうち会おうねーって終わり、運転する車の中でふと、「私はなんも持ってないし、なんも叶えられてないけど、考える力はあるし、やりたいことを実行する行動力もあって、幸せに生きる方法を知ってて、かつ実行してるな」と思った。

何年か前に、親に「幸せそうに見えない」と言われた時、泣きながら「親にそんなこと言われる気持ち考えろ」と言い、強がりで「幸せですけど何か?」と言った。

その時と何も状況は変わってないけど、不幸せを敢えて探すようなことはしないし、嫌いな人と上手に付き合う方法も知ってる。自分を楽しくさせる方法も知ってるし、それを実行するだけの行動力も自由に使うお金もある。仕事も家事も得意だし、苦手なことにも向き合う誠実さもある。人を楽しい気持ちにさせるのもみんなより上手だし、優しさもそれなりに持ち合わせてる。

正直、もう何年も、死にたいと思って生きてきた。初めてちゃんと書いたけど。もしかしたら、何かのきっかけで自分もふと自分に手をかけてしまうかもしれないなって思いながら何度も何度も泣いた。泣くってことは生きたいくせになって思いながら、何にも持たない自分が恥ずかしいし情けないし悔しいし悲しいし、認めたくなかったし、死んでしまいたいとずっと思ってた。仲の良かった妹にまで嫌われて。親に言われるように幸せではなかったというか、幸せではないのかもしれないけど、きっとこの2年いろんなことを勉強して、なんなら、この2週間で読んだ本の影響も受けて、今日38年生きてきて初めて、周りと比べたり、誰かを見下ろしてではなく、私という人間単体で、幸せに生きる方法を知ってる人だと自分で認めてあげられたことに、自分でびっくりした。

だから、誰も読まないこのnoteではあるけど、いつか死んだ時に私は幸せに生きた時があったという証拠に残しておきたいと思った。

てか、ふと何かで死んじゃった時に、親がこれを読んで、反省しつつ、んま幸せに生きた時間があったなら良かったのかなって思えればいいかなと思って。

んま、こういう人間は誰より長生きするんだろうけど。

anyways 残しておきたかったから書きました。キム・ジヨン読んで寝よー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?