ごろー、コンカフェ行くんだってよ
たまには日頃言えないことを。
コンカフェを楽しむために考えること。
今日はそういうお話。
コンカフェを長く楽しむコツって何だろうなといつも思う。
ああ。まあコンカフェ界隈には長くいるんだけどね。
俺はひとところに長く居るタイプの客ではないので。
右も左もわからんコミュ障のエロゲオタクから始まったコンカフェ客としての第一歩から、もう10年以上が経つ。
今言ってもあんま信じてもらえないが、最初なんてほとんどキャストとまともに話せなかったし、ちょっと優しくされただけで盛大にガチ恋してダダ滑りしたことだっていくらでもある。
まあそれは今でもそうか。
話を戻そう。
ひとつは、まあこういのって結局慣れなんだなってことだ。
ほとんど喋れなかったところから、話しかけられればちょっと話せるようになり、
相手の顔を見て話せなかったのが、目をちゃんと見て話せるようになり、
つまらない自分の話ばかりだったのが、相手の話を聞いて笑わせれるようになったり、
全部訓練みたいなものである。
上手くなりたいのであれば通えばいい。
当然、そういう技術が高い方が構ってもらえるだろうし大事にされるだろう。
それが嬉しくて通うモチベーションになるかもしれない。
ま、これが後々関係性をこじらせる原因になるけどな。
ひとつは、関係性の固定っていうのがある。
残念ながら人と人の関係性っていうのは、時間を重ねれば重ねるほどややこしくなる。
最初は客とキャストっていう明確な線引きがなされていても、時間の経過がその線引きを曖昧にしていく。
知り合いと言えば知り合いだし、でも友達ではないし。ただ大切な関係だとは思うけど、客が来なければその関係は終わるだけ。
これを割り切ってそういうもんだと双方が理解していれば、いい意味で客とキャストの関係が成立するだろう。
そんな関係のやつ、俺は数人しかいないけどな。
ひとつは、社会生活との隔離だろう。
コンカフェのキャストがそうであるように、また客もコンカフェではキャストみたいなもんだろ。
通えば通うほど、ご主人様っていうキャラクターが店の中で形作られ、現実世界から乖離する。
ごろーはあくまでコンカフェの中にいるキャラクターであって、社会生活を営む俺はごろーとは似て非なるものである。というか、それは俺の一つの側面にしか過ぎない。
こうやって社会生活から隔離されたキャラクターが出来ると、良くも悪くもコンカフェにいる時間は精神が麻痺する。
ま、場合によってはしんどい時もあるけど、ごろーを演じるのは楽だ。
金持ちを自称して女好きで、すぐ調子に乗って冷たくされるごろーがね。楽だったりする。
癒しの時間としてコンカフェを利用する方も多いだろうが、俺はコンカフェって究極の『ごっこ遊び』だと思う。
いい歳こいた大人のストレス解消としては、まあ悪くはないんじゃないだろうか。
ま、それが社会生活と切り離した『ごっこ遊び』を逸脱しなければいいんだけどね。
大体これらが長く楽しむためのコツだろうか。
改めて文章にすると、なんかもうキモくて嫌だなこれ。
もっと具体的に店での立ち回りとか立ち位置とかも考えることがあるから、まあそういうのもキモいついでに残しておくか。
・長く楽しむために立ち回りで考えること
関係性を固定するための立ち回りって、なかなか難しい。
敢えて言えば、客とキャストという線引きを逸脱しないために、その役割をちゃんと明確化しておくことが大事だと思う。
例えば、キャストの仕事はキャストのものであるってことだ。
粗相の後始末はキャストがすればいいし、粗相をされたら謝罪を受ける方がいいだろう。
お出迎えお見送りも目立って嫌だが甘んじて受け入れた方がいいし、スタンプカードは作った方が無難だ。嫌だけどな。
ついついやりがちだが、「俺はいいから」っていう言動から大体関係性の崩壊は始まる。
それが「俺が嫌だからやめてくれ」ならまだいいが、「そっちが面倒でしょ?俺は別にいいよ」は危ういし、「本当はして欲しいけど、この優しい俺を見てくれ」はアウトだ。あかん。
この「俺はいいから」という言葉、コンカフェ界隈ではよく『優しさ』と翻訳されるが、これってどうなんだろうね。知らんけど。
ま、とかく気の使い方一つにしても、本当の正解がどれかは俺も悩むところではある。
だが、コンカフェ界隈で正解と思われている多くの言動も、よくよく根本の行動原理を考えると「それっておかしくね?」ってなることがある。
一つ一つを検証するのは面倒だが、こういった立ち回りの行動原理をちゃんと考えてみると、既に関係性を逸脱した感情に振り回されてる自分に気付くことが多い。
あくまで長く楽しむならっていう前提だが、関係性をちゃんと見極めた言動が大切だと思うのだ。
・長く楽しむために立ち位置で考えること
ある時期から俺はソロでコンカフェに通うようになった。
他の客と絡むのもやめたし、オーナーと仲良くするのもやめた。
これ、全部立ち位置を作るためにやっていることだ。
コンカフェも小さな社会である以上、どうしてもキャストはキャストで、客は客でコミュニティが出来ていく。
全員が全員仲良しこよしならいいのだが、残念ながら仲がよろしくない方々もいれば、居合わせただけで喧嘩になる方々もいる。
ま、社会ってそういうもんだよな。これは仕方ないことだ。
これを長く楽しむという目線で考えると、正直リスクしかないっていうのが今までの経験から得た結論である。
ああ。もちろんそれが楽しくて通う方もいらっしゃるだろうし、否定するつもりは毛頭ない。
俺自身が優先順位を考えた時に、結局キャスト喋れればそれで良かったというだけで、他はわりとどうでもいいのである。
コミュニティでの立ち位置をまた考えるのもめんどくさいし、コンカフェ以外共通点のない友人とそんなに上手く付き合えた経験がないのだ。
結局1人ってのが気も楽でいいし、ある程度コンカフェ慣れしていれば絶対的な立ち位置を確保することはそんなに難しくない。
そしてまあ、一番構ってもらえるよ。
そういう環境的な要素があって、じゃあ自分の立ち位置どうするよって話になる。
まあ長く楽しむってことを考えるなら、空気みたいな存在になるってことだ。
いつの間にか来て、いつの間にか帰っている。
そんなくらいでいいだろう。
目立つ必要はなくて、そこにいる誰とでも適度に喋れることが望ましい。
キャストを選ぶタイプの客は、遅かれ早かれ消える運命にあると俺は観察していて思う。
そしてキャストから選ばれるタイプの客も、同じような運命にある。
結局何事も過ぎたるは及ばざるが如し。
その立ち位置を掴むのもガチャ要素があるので、なかなか難しいんだけどね。
と、まあ久しぶりにnoteを使うので思わず熱中してしまったが、この辺りがコンカフェ客として現世を彷徨ってきた俺が思うところである。
参考になどならんだろうけど、まあこういう考えの客もいると流し読みして頂けたら幸いだ。
それでは今日はこの辺りで。
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