見出し画像

もしかして、名前ってお守りだったんじゃね?って話

前職では旧姓だったので、今の職場になってから新しい今の姓で呼ばれるようになって、夫婦別姓を主張する人たちに思いをはせるようになった。今日この頃の俺だ(イェア)

実際元々私自身は本当にどっちでも良くて、当たり前のように結婚したら苗字は変わるものだと思っていたし、今も別に旦那氏の姓になれて嬉しいし問題ないしまじでどっちでもいいんだけど、
「よっしゃ自分頑張るぞ!」と自分に呼びかける時の名前は、旧姓なんだよな。
ということに気づいたのだ。

今まで何かあった時に、褒められた時も旧姓だったのだ。
頼りにしてるよ、〇〇さんの〇〇は旧姓だったのだ。
〇〇ならできる、〇〇がんばれの〇〇は旧姓だったのだ。

そういう積み重ねが自分の名前に重なって、自分に自信を持つための1つの基準値みたいな役割をしていたのだな、みたいな。お守りだったんじゃね?って感じ。自分は今までこれだけ頑張ってきた、これからも頑張れるよ、って感じの。
まじで苗字とか何でもいいわと思っていた私でさえそう思うのだから、自分の名前にもっと努力を重ねたり、大きなことを成し遂げた人は、手放したくないだろうな、自分の名前、、と思ったりしたのでした。

私は今から新しい苗字に自分のアイデンティティを作り上げていく予定だし、1から信頼を重ねるという心持ちなので
まぁ頑張るしかねえなって感じだけど。
私のことはともかく、夫婦別姓問題が色んな人にとって良い感じになる方向へ進んでいけばいいなぁと思うばかり。

ま、それかいっそみんな下の名前で呼び合う世の中になるとかでもいいかもね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?