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「TIGER WALK トラの散歩」

 三月初旬。
 冷たい北風に身をすくめながら、真田寅雄は札幌市内のある公園の正面で佇んでいた。
 時刻は午後八時をまわり、公園の内部や周囲を外灯が照らしているが、広大な面積を余すところなくカバーするには至っていない。
 そんな場所で、寅雄はもう一時間以上もウロウロしている。
 
「ちょっと散歩に出てくる」
「きょうもですか」
 一時間ほど前。
 妻の敏子は夕食後の食器を片付けながら、特に驚いた様子もなく言った。
「ああ」
「もう若くはないんですから、無理はなさらずに」
「……わかっている」
 
 寅雄の『散歩』は今夜で七日目。
 七十二歳。年の割には頑健とはいえ、疲労は応分に蓄積している。
 しかしこの日、寅雄はついに目的の事物に遭遇した。
 公園の正面からほど近い建物の前に、若い男二人が姿を現わした。ひとりは黒いパーカー姿の身長二メートルに近い大柄。もうひとりは胸に虎をあしらったジャンパーを身にまとった百八十センチくらいの男。

 建物は「ひまわり荘」という名の児童養護施設だった。
 二人は持参したバッグからカラースプレー缶を取り出すと、門柱と塀に向けて、いましも吹きつけようとしていた。
「待て、バカモンが!」
 駆け寄りながら寅雄が声をかけると、大柄の男が無言のまま鋭いタックルを仕掛けてきた。身長百六十五センチの寅雄は、腰を落としながら半身で右足を前に踏み出し、その勢いで右腕を突き出す。
 それはパンチではなかった。男の顔と首筋をとらえたのは寅雄の背中。寅雄が繰り出したのは、大きく両手を左右に展開して背中(靠)を使った体当たりだった。
 車にはねられたかのように弾かれた大柄の男は、ぐむう、と声にならない音を口から出して、顔面から道路に倒れ込み、そのまま意識を失ったようだった。
 「鉄山靠(てつざんこう)!?」
  驚きの色をあらわにして言い放ったもう一人の男は、年のころ二十代の半ば。ウォームアップのつもりらしく、体をほぐし始めた。
「……誰に頼まれて、こんなことをしている」
 寅雄が問うと、
「さあな、よくは知らねえよ。ネットで請けた闇バイトってヤツだ。ペンキをコテコテに塗ってこいとよ」
「この施設の評判を落とすような悪戯は、見過ごすことはできん」
 スタッ、スタッ、と宙を舞うような軽やかなフットワークでシャドーボクシングのような動きを見せていた男は、
 「フン、こんな虚仮脅しは意味ねぇか」
 いうと右足を下げて開き、軽く膝を緩めて構えた。
「剛柔流、いや、糸東流か。こんなことに使う技ではなかろうに」
「詳しいな、ジイさん。じゃ、いくぜ」
  男は瞬速、左の前蹴りを繰り出す。と見せて即、身体をひねり、右後ろ廻し蹴りに転じた。丸太のような右足が、重量感を感じさせないスピードでひょうと風を切り、寅雄のこめかみに迫る。
 何人もの敵を屠ってきたであろう必殺のコンビネーション。男は自らの技のキレを確信して、寅雄に叩きつけた。
 刹那、寅雄は体を沈め、その蹴りを稲妻のようにするりとかいくぐると、右肘を下から上へと振り上げながら突き出す。あたかも槍に見立てたかのような寅雄の肘は、男の水月に深く刺さった。
「がっ!」
 身体中の空気を一気に内臓から搾り出すような声を上げて、男は五メートルほど吹き飛んだ。

「すまんな。練られた蹴りだったので、加減できんかった。その技ひとつとっても、一年や二年で身についたものではあるまいに……」
「……こ、これが、り、裡門頂肘(りもんちょうちゅう)……」
「あばら骨の一本や二本はいっとるだろうが、この施設に手を出すものは必ず報いを受ける。そう思ってもらおうか」
「……アンタ、名前は?」
 胸を押さえながら、男は言った。男が纏っているジャンパーの虎の図柄が寅雄の目に入った。
「……そうさな。『伊達直人』とでも名乗っておこうか」
 寅雄が踵を返し、ぼんやりと街灯が照らす薄暗がりに消えようとしたとき、
「待てッ!」
 苦しい息の中で、男は寅雄を呼び止めた。
「俺はッ、蒲生、誠太郎。伊達さん、いや、伊達先生!俺にその、八極拳を教えてください!」
 振り返ると、男はアスファルトに頭をつけ、拝礼していた。
「この拳を、身につけてどうする。チンピラどもの上に君臨するのか」
「ひたすら出会う相手を叩きのめすことを繰り返してきた。だが、虚しさしかない。いま喰らったアンタの拳には、強さだけではない何かがある。そう感じた」
「他人の人生に興味はない」
「……」
「だが、時折わしは散歩をする」
「……!?」
「見るのは勝手だ。あと……」
「?」
 いぶかし気に顔を上げた蒲生青年に、寅雄は言った。
「……寅雄。真田寅雄。わしの名だ。……次に出くわした時に、妙な名で呼ばれてはかなわん」
 そういうと寅雄は、もう振り返ることなくその場をあとにした。
 再び拝礼する青年の気配を、その背に感じながら。

<終>

(1980文字) 

この作品は、小雑誌「ウミネコ」第2号への寄稿用に『散歩』『ハードボイルド』『アニメor特撮オマージュ』というお題で書いたものです。

「タイガーマスク」と「拳児」へのオマージュを込めて書きました!

一周、いや二周まわって今どきないモノを書いたなあ、って感じですw
文フリ東京、楽しみですねー(^^♪

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