見出し画像

「カラビ=ヤウゲート 深淵の悪魔」/第十三話

今にして思えば、それは、誰かの夢や記憶を覗き見ているようでもあった。


小さなころから目ざとい子供で、独り遊びの最中に片隅を指さしては、

「ママ、あそこが破けてる」

といちいち親に異変を知らせた。

「破けたところからね、おじさんがこっちを見てる」

「あら、みいちゃん。また怖いこと言うのね。あそこには何にもないない、なのよ。ないない。ね、パパにも見てもらおう。パパー!」

「なんだ、どうかしたか」

「あの天井の角のところ、なんにもないわよね?ないないだよね?」

「そりゃそうさ。みいちゃんは想像力が豊かだからな。将来はお話を創る人になるのかなー。楽しみだなー」

じっと見つめていると、なぜかいつも破れ目は少しづつ小さくなり、しまいには閉じる。破れ目を見つけるたびに、閉じるまで見つめ続ける。それが癖になった。

そしてそのころはまだ、それが『怖いもの』だとは思っていなかった。


小学校も高学年になると、学校の七不思議だの口裂け女だのといった『都市伝説』が流行った。小さなころから変わったものを見続けてきた身にとっては『子供騙し』の内容だった。

中学では怪異に気づく自分が異常であるように思え、恐怖よりも恥ずかしさを強く感じたが、高校生になると自分の心をコントロールする方法を考えるようになった。そして、事象と向き合ううちに、ある法則性に気づいた。

破れ目から見える怪異を自分一人でただ見つめているよりも、誰かに話して情報共有したほうが閉じるスピードが速くなるのだ。

いろいろと試した。

怪談めかして友人に話してみたり、ラジオの怪談コーナーに投稿してみたり。効果はてきめんだった。理屈はわからないが『多くの人間と情報共有をすればするほど、破れ目は早く閉じる』のだ。ありていな言い方でいうならば、心霊スポットをたくさんの人が訪ねれば訪ねるほど、オバケは出なくなる、のだ。

そういう意味では、怪談が流行れば流行るほど、自然治癒的にふさがれる破れ目もあるのだ、ということにも気づいた。もしかしたら、誰かが自分と同じことをしているのかもしれない。そうも思った。

大学を卒業して、普通に就職し、結婚もした。だが、結婚生活は長続きはしなかった。ふいに一点を見つめては動かなくなる妻に、夫が愛想をつかしたのだ。

独り暮らしになってからはしばらく、誰に気兼ねすることもなく、日課として破れ目をふさぎ続けた。『みいちゃん』のハンドルネームでネットの怪異ページにも投稿し、掲示板でやりとりする仲間も募った。

だが、ネットを活用したコミュニティは、小林、と名乗る掲示板荒らしの書き込みであっけなく崩壊した。小林は『みいちゃん』を詐欺師呼ばわりし、妄想癖の人格破綻者と決めつけた。

怒りが頂点を迎え、ついに小林に直接の対面を申し込んだ。とはいっても、危害を加えられる恐れもある。市内中心部の大通公園を指定して、午後3時に顔を合わせた。

小林は眼光の鋭い中年男性だった。自分は弁護士だといい、『みいちゃん』がしていることは法に触れている恐れがあると力説した。怖かった。現実世界での自分の生活が奪われることが怖かった。

恐れをなして、しばらくは破れ目には近寄らなかった。近寄れなかった。だが両親の見取りを終え、齢60を迎えたときに、自分にはもう失うものがないことに気づいた。

私は私にできることをしよう。命ある限り。

下柳美佳子は、「クロノスの会」を創設した。


自らの経験を語り、わかり合える仲間を募った。スポンサーを買って出た森林洋一は、美佳子の能力に『次元観』と名をつけた。信頼のおける仲間と情報を共有し、破れ目を次々に閉じていった。だがこの仕組みについては、誰にも教えてはいなかった。知ればその人のもとに『小林』が現れる可能性を恐れたが故であった。


いまになってアイツが現れたのは、自分が間違っていなかった証だ、と美佳子は思った。そう思えば、悔いはない。

(おそらく私の肉体はこの『認知の壁』を超えることはできない。ならば・・・肉体を捨てるしかない。自分の奥底に眠る『阿頼耶識(あらやしき)』を彼女のもとへ飛ばすことは可能かもしれない。伝えなければ、彼女に・・・)

五感を失った空間の中で、美佳子は小林と対面した大通公園の風景を一度だけ強く意識した。そしてその後は、般若心経を念じ始めた。

無に近づくために。無意識を飛ばすために。


<続く>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?