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【ピリカ文庫】冬支度【ショートショート】

ただいま、と小さく呟きながら松浦は、後ろ手に扉を閉める。

バタン。ドアの閉まる音が、やけに大きく響く。

ひとり娘の美咲が東京の大学へと巣立って半年。2つ年下の妻・幹恵は2か月前、まるで役目を終えたかのようにパタリと倒れ、あっという間に鬼籍に入った。

松浦はコートを脱がずに居間に向かい、ストーブのスイッチを押す。11月も下旬ともなれば北国の朝晩は、氷点下になることも珍しくない。

25年ぶりの独りぼっちの冬。ストーブが暖かい空気を吐き出し始めるのを確認しながら、厳しい冬になる、と松浦は思った。

コンビニ弁当を食べ終えると、松浦はパソコンに向かった。孤独を紛らわせるために始めた「趣味」のためである。

(役人)「ほう、これは猪の肉か。あつ、はふはふ、うむ、うまい。寒い晩には鍋が一番だな。煎じ薬も進む。いま一杯もらいたい」
(町人A)「おいおい、全部吞まれちまうよ。もうないって言いなさいよ」
(町人B)「ええー、恐れ入りますが、煎じ薬が切れてございます」
(役人)「なんと。しからば拙者、ひと廻りして参る。その間に二番を煎じておけ」

落語『二番煎じ』は火の用心の見回りの合間に寒さをしのごうと持ち込んだ酒を、役人に横取りされる噺。

いまでこそ平凡なサラリーマンだが、学生時代は青春を『落研(おちけん)』に捧げた松浦。他に時間をつぶすすべはなかった。収録した噺の音声データをYoutubeにあげる。これが、独りの冬を乗り切るために松浦が思いついた唯一の方策だった。

「子ほめ」、「初天神(はつてんじん)」、「寝床(ねどこ)」とこれまで幾つかアップロードしてみたが、閲覧者は両手で足りるほど。それでもいい、と松浦は思っている。何かしていないと自分は、寂しさに負けてしまうかもしれない。そんな恐怖感がぞわりと背筋をのぼる日もあった。

☆☆☆☆☆

翌日、仕事を終えて帰宅すると、玄関の前に配送業者の姿があった。

「松浦さんですね。ちょうどよかった。受け取りのサインお願いします」

「なんだろう?覚えがないけど」

「松浦幹恵さん、奥様のご注文ですかね。人気商品なんで、だいぶ配送時期が遅くなったようです。ではお願いします」

配達員は40センチほどの立方体を引き渡すと、一礼して去った。

部屋の中で開封してみるとそれは、空間除菌もできるタイプの最新式加湿器だった。冬本番を控えて届いた加湿器は、松浦には亡き妻からのエールのように感じられた。

(そういえば、お前には俺の落語、聴かせたことなかったな)

水を注ぎ、電源を入れた加湿器を前に、松浦は正座する。

「だんな、だんなあ」「おお、びっくりした、なんだ」「へぇ、車差し上げましょうか」「差し上げる?ずいぶんと力あるんだな」

学生時代にはうまく演る(やる)ことができなかった「替り目」。飲んだくれの亭主が夜中、おでんを買ってこいと女房を追い出す。不在の間に、ふと本音が零れ落ちる。

「はは、あわてて部屋ぁ出ていきやがった。…しかしありがたいねェ。いいカミさんだよ。俺なんかにゃもったいねぇいい女だ。面と向むかっちゃあ バカだのオタフクだの言ってるけど、心ん中じゃあ手ぇ合わせて拝んでんだ」

「いつもこんなダメな亭主の、め、面倒 、み、見てくれて …ありが…くっ…」

いつしか溢れだした涙を止められずにいた松浦は、しかし、きっ、と唇を噛んで顔を上げた。

「は、いけねえや、いくら最新の加湿器でも、こいつぁ湿度が高すぎる」

誰に言うでもない照れ隠しの独り言だったが、どこかから「ふふっ」と小さな笑い声が聞こえた気がした。

(幹恵。お前のおかげでとりあえず今年の冬は、何とか乗り切れる気がするよ。ありがとな。)

ぼんやりと加湿器を見つめながら、松浦は思った。

加湿器はしゅしゅっ、と白い息を吐いた。

<終>


(後書き的なもの)

えー、憧れの「ピリカ文庫」、お声がけをいただきました!ほかの方々と違う方向を目指そうと、落語でいうところの「人情噺」的なテイストを狙ってみました。うまくいってるかどうかわかりませんが、お楽しみいただけると嬉しいです!※落語部分、一部改稿しました。


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