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「うる星やつら」を、ちょっと語ってみる<3>/わたしのアニメ語り

この記事は、こちらの記事の続きです!

伝説として確固たる地位を築いた「初代」。
チーフディレクターとして舵取り役を務めた押井守氏が果たした役割は非常に大きなものだった、という話をしました。

では、その「押井演出」にビビッドに反応したのはどんな人たちだったのか・・・。今回は、そんなことを語ってみようと思います。


「お宅はさあ、どう思うわけ?」
「そういうお宅の見解は?」
「いや、お宅の受け止めをまず聞きたいわけ」
「いやいや、お宅がまず言えばよいかと」

1980年代に一般的に使用されるようになった「おたく」という言葉。当初はこのような使われ方をする言葉でした。
コアなファン層の方々はシャイな人が多く相手のことを「キミ」とか「オマエ」「アンタ」なんて呼び方ができず、ギリギリ敬意を失わない距離感の言葉として「おたく」というワードをチョイスしていたのです。

歴史をさかのぼれば、相手のことを直に名指しするのではなく「御宅」と示すのは「御前」「貴方(あなた)」などにも通ずる古式ゆかしい作法ともいえるのかもしれませんが、世に取り沙汰されるのは『何を言ったか』ではなく『誰が言ったか』なのです。

アニメをはじめとする『サブカルチャー』を愛する人々は、この時点では、世間一般から蔑みの目線を向けられつつ「おたく」と呼び習わされることとなります。この「おたく」が時代の変遷とともに「オタク」、「ヲタク」、「ヲタ」と変化形を生むこととなりますが、それはまた別のお話。

こうした「おたく」の共通点は、『情報量でのマウント』でした。いかにレアな情報を仕入れるか。レアなアイテムを入手するか。レアな体験をするか。これにより、ある種の序列が発生していたのです。

まとめサイトもツイッターもない時代。
アニメに関していえば、この「情報戦」を制するためのマストアイテムがありました。それが「アニメ情報誌」だったのです。

1978年に創刊された「アニメージュ」。
後を追って1981年創刊の「アニメディア」。
1985年に、すこし遅れて創刊もガンダム系に強さを示した「ニュータイプ」。
現在も御三家として続くこの3誌を中心に、様々な雑誌メディアがアニメ情報を発信しました。

各シーズンの新番組情報はもちろん、声優、監督、脚本家、アニメーターまで幅広く取り上げられるようになり、押井守、宮崎駿はもちろん、安彦良和、大河原邦男、板野一郎といったアニメーターの名前や手法などが特集記事で取り上げられることも少なくありませんでした。

こうした中で脚光を浴びたのが「うる星やつら」の劇場版であり、1978年の放送後、3作に渡ってリメイクされた「機動戦士ガンダム」劇場版であり、「アニメージュ」誌上で連載された「風の谷のナウシカ」であったのです。

特に「うる星やつら」の「ビューティフルドリーマー」は、ただでさえ難解なストーリー展開の上に、登場人物がそれぞれ思わせぶりなセリフを語ったり、意図のわかりにくいカットなども積み重ねられ、見る人によって解釈に違いが出る、という現象が起こりました。

いまでこそ、様々なアニメ作品を独自の観点から「考察」する、ということは珍しくないものになりましたが、あの当時でガチの「考察」を必要とするアニメは他に思い浮かびません。
思えば「アニメ考察」のハシリが、「うる星やつら」だったのかも知れません。


ラブコメにギャグを取り込んだ、原作「うる星やつら」。その世界観をベースに独自のSFテイストをプラスし、考察アニメとしてブレイクした「初代」=アニメ版「うる星やつら」。こうした時代の波を引き寄せたのは「おたく」と呼ばれたコアファンのニーズだったのではないか、というのが今回の私のお話でした。

次回は「初代から2代目へ~ 声優が繋ぐクリエイティブ」というお話です。次回完結できるかどうか?

ではまた!


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