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小説|最愛の家族

「おぎゃあ」
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
 目を開くと周りには嬉しそうな、それと同時に不安そうな顔をした大人たちが私を取り囲んでいる。彼らの服装と部屋の設備から判断するにここは病院らしい。少し頭を傾けて医師の手元を確認する。まあ、悪くない。母親がこちらを覗き込んできた。三十代前半といったところか。目立たない顔立ちだが、大きな欠点はない。なにより出産の必要以上には肥満していない。父親は残念ながら私の誕生の現場には立ち会わせていないようだ。私はそれらを確認すると目を閉じて休むことにした。
 しばらくを病院で過ごしたあと、母の体調が回復した頃に自宅に戻ることになった。戻るといっても私にとっては自宅を見るのはこれが初めてなのだが。
 病院までは父が車で迎えに来た。母は私を大切そうに抱きかかえると、車の中の新生児用ベビーカーに寝かせた。新品の製品特有のインクのような匂いがした。
 父は新型のプリウスの運転席でハンドルを両手で握り、終始緊張した顔をしている。チラチラとミラー越しに目が合う。母親より少し年齢は上だろう。車に運ばれる前にちらりと見た様子から察するに、身長は百七十センチほどで、ポロシャツの上からでもよくわかるほどみごとなビール腹が出ていた。私は固く目を閉じた。
 私と私の両親の家は人口二十万人ほどの地方都市の外れにある、建売の一軒家だった。壁の塗装も庭の植物もどこかのカタログをそのまま3Dにして持ってきたような印象を受けた。ここから五キロ以内に全く同じ壁と庭を十組はゆうに見つけられるだろう。私はなかば気持ちを固めつつあった。
 部屋に入ると私はベビーベッドに寝かされ、頭上を回転するアニメキャラクターの玩具を見つめていた。手元には、子供が生まれた家庭に政府から支給される錠剤の小瓶が置かれていた。
私は両親が目を離した隙ににそれを手に取り、おぼつかない手付きのままなんとかこじ開けて中に入っていた小さなカプセルを飲んだ。
「やり直しだ」
 私は心の中でそうつぶやきながら、数週間前に這い出てきたばかりの闇へ向かって再び意識が遠のいていくのに身を任せた。

「おんぎゃあ」
「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」
 周りを見渡すとここは一応病院らしい。前回よりも設備の古さが目立つ。
 母親はうれしそうに私を抱きかかえた。だが母の顔をひと目見た瞬間に、私の心を落胆が支配した。あまりにも醜かった。疑い深そうな目、潰れたような鼻、ただれたような湿疹の肌。私は泣き叫びながら、次の両親に静かに思いを巡らせた。

 私は自分自身のために両親を選んでいるわけではない。親の形質は実際問題として、自分自身の将来はもちろんのこと、自分の子孫の形質に大きな影響を与える。より良い形質を子孫に残したいと考えるのは当然のことだろう。そしてなにより、この条件は生まれたときに一度与えられたが最期、あとから変えることができないというのが問題だった。
 私は病院の新生児用ベッドにも備え付けられている錠剤の瓶から、一つを取り出して飲み下した。

 21世紀も後半に入り、遺伝子工学は人々の期待を上回るスピードで進歩した。それにともない、生きることや命を操作することに対する様々な哲学的議論が行われた。その結果として、新生児が親を選ぶ権利が数年前から保証された。
 それまで子供は自分の意思とは関係なく、無作為に選ばれた親を受け入れるしかなかった。それは明らかに生まれた時からの不平等を意味していた。親の健康状態や収入、居住環境などは子供の人生に大きな影響を与える。そして子供にとってそこから自らの力で抜け出すのは困難なことだった。そのような不平等がまかり通っていた時代があるということが恐ろしい。

 現代では子供は三回まで親を選び直すことができる。妊婦の身体への負担や医療費などの関係で現状では三回までの制限付きとなっているが、技術の進歩につれてチャンスの回数も増えていくだろう。それこそが親と子の平等というものだ。
 子供は生まれてから十八歳までの間にその親のもとで人生を続けていくか決めることができる。もしその環境が気に入らなければ、どの家庭にも政府から支給されている、特殊な安楽死用の薬を飲むことでその人生を終わらせることができる。苦しみはまったく無く、眠るようにまぶたが降りてきて永久に目覚めない。次に目を開けるのは、別の母親の子宮から這い出たときだ。前の人生の記憶は残らないということになっているが、今回のように生まれた直後の景色などが断片的に思い出されることはあるようだ。基本的には残りの試行回数のみが意識に刷り込まれるようになっている。この薬を飲む権利はすべての子供に保証されていて、親が我が子かわいさにそれを妨害することは重大な人権の侵害として許されていない。 
 もちろんこの制度が導入された直後は、反対する人も多くいた。しかし胎内にいるうちから親が気に入らない子供は中絶と称して生きる権利を奪うことが許されるならば、生まれた子供が親を気に入らなかったら、その環境で生きない権利を認めるのも当然だった。
 考えてもみれば、親はとっくの昔から子供を選んできた。数世紀前までは百姓は病弱な子供を間引くのは当たり前だったし、21世紀に入ってからも出生前診断でダウン症になる可能性が高いと診断された胎児は、ほとんどの親が中絶することを選んでいた。
 それではお金持ちしか子供に選んでもらえず、貧乏な親は子供を持つことさえできないのかというと、意外とそこは工夫次第で、親からの愛情を保証したり、夫婦仲の良さをアピールしたりして、何度目かの出産では子供に選んでもらえる場合が多かった。どのみち地球の人口は増えすぎていたので、親と子供が生きることへのコンセンサスが取れているのは地球へ住むことの条件のようになっていた。 

「うんぎゃあ」
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
 いい肌触りだ。新しいコットンのタオル特有の感触で私は目を開いた。これは当たりを引いたかもしれない。
 オーガニックのお香が焚かれたその部屋では、スタイリッシュな白衣に身を包んだ医師とモデルのようなメリハリのある身体の看護師がほほえみながら私を見つめていた。看護師は私を抱きかかえると、ベッドで待つ母親に手渡した。
 彼女は美しい母親だった。出産という大仕事を終えたあとでも彼女のうちから湧き出る清廉さは、生まれたばかりの目に眩しいほどだった。ベッドサイドには父親もいて、私の顔を覗き込んでいた。ポロシャツを盛り上がらせている逞しい三角筋と真っ白な歯が印象的だった。笑顔の父は母に言った。
「当たりを引いたみたいだ」
「そうみたいね」
 私は幸福を確信した。上等な医療設備で出産を迎えられる経済力、美しい母と逞しい父。それに親の方でも私の第一印象にポジティブなフィーリングがあるみたいだ。これはいいぞ。これ以上ないといえる好条件だ。最後のチャンスでついに当たりの親を引き当てたぞ。
 私は両親の愛情を一心に受け、またこのような好条件を提供してくれる両親に心から感謝して、すくすくと成長した。当然の結果として学校の成績はいつも最上位層だったし、友人からの評判も良かった。
 だんだんと選択の期限が近づいても両親は何も口に出さなかった。選択に干渉することも子供の基本的人権に反することとされていた。
 十八歳の誕生日。一家は懇意にしているイタリアンレストランで彼の成人を祝った。
「あなたは本当にかわいい、大切な私たちの子供よ」
「うん、ありがとう母さん。僕は母さんと父さんの子供に生まれてきて本当に幸せだよ」
 一家は家に帰り、私は自分の部屋で薬の小瓶を掌の上で転がしていた。
「誰がこんな素晴らしい条件の家族を手放すもんか。これだけいい環境で育ててもらえるのはなかなかレアだろうなあ」
 そのころ階下では彼の両親が真剣な表情で話し合っていた。
「ついにこの日が来てしまったか。すごく言いにくいがあいつにも本当のことを伝えなければならないな」
「ええ。私たちはその分、できる限りの愛情と、成長に適した環境をあの子に与えてきたはずよ」
 二人は息子の部屋のドアをノックした。
「少し大事な話があるんだ。入ってもいいか?」
「もちろんだよ、父さん」
「大事な話っていうのはなに?環境を決める期限について?それなら心配しないで。僕はこの家に生まれて本当に幸せなんだ」
「ああ、そんなふうに言ってくれるなんておまえは本当にいい息子だな。だが、一つだけ伝えておかなきゃならないことがあるんだ」
「実はおまえは、私たちの本当の息子じゃないんだ。おまえの本当の親は、条件が良くなかったんだ。だがそれでもおまえの親は自分の息子にこの世にとどまってほしくて、私たちに生まれたばかりだったお前を渡したんだ」
 私はそれを聞いてもそれほど驚きはしなかった。この年まで育ってしまえば、今後の人生への親の影響はそれほど大きいものではない。それにこんなに恵まれた環境を与えてくれる親は本当にレアだった。
「父さん、そんなこと僕は気にしたりしないよ。父さんと母さんは僕に最高の環境を与えてくれた。そのことに僕はすごく感謝してるんだ」
「でも一応、血のつながっている親の写真を見せてくれる?遺伝上の性質も人生を形作る上で重要だからね」
 父親に渡された写真に私はどこかで見覚えがあるような気がしたが、数秒睨んでも思い出せなかった。とにかく自分はこの親には似なかった。

 ああ素晴らしき家族愛よ。

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