墓場までもっていくかもしれないこと。

20歳まで至って普通に過ごしてきた。成績が良いわけでも悪いわけでもなく、普通。常にオール3をとってきた女。学校で注目されるような人気者ではないし、忘れ物もなく宿題もちゃんとやる、本っ当に普通の人間。

なんとなく過ごしてきた20数年。


ある日突然、激しい銃撃戦にあったような痛みに襲われて、よくある戦いのシーンでおなかを押さえながらしゃがみこむ感じになった。立ち上がることも、息をすることも大変。とにかくお腹から手を放してしまえばTHE ENDだった。なんとなくの違和感は数日前からあったけど時間がたてば何事もなくなってしまうから、そのうち治ると思っていた。でもさらにひどくなって病院に駆け込んだ。ありとあらゆるところを検査されながら、100%ないって訴えているのに妊娠も疑われながら待ってようやく結果が判明。

「大きな腫瘍があって、それが爆発した」と医者から言われた。
まじで!そんなことある?と思ったけど、あるらしい。即入院して手術。そして痛みから解放されてわかったのは、妊娠の可能性が限りなく低いこと。その頃はまだ20代前半。そこまで真剣に妊娠とか自分の将来のこととか考えてなかったからこそだけど、びっくりするほど何も感じずまさに「無」。

そこから定期的に受診すること数年。忘れかけていたころに、腫瘍の再発が告げられた。

そしてこれまた手術をすることに。まぁまぁ緊急レベルらしく早めに予定を決めたいと医者から言われていたので調整した。3か月後ぐらいに。実は手術しないといけないと言われてから激しい動きは危険だからくれぐれもやめてねと言われていたのでジムは休会して仕事でも動きすぎないようにしていたけど、、、1週間くらいの海外旅行に行って海に入り山に登りはしゃぎまくった。この海外旅行があったから3か月も手術を先延ばしにしていたわけで、これに関しては本当に私はダメなやつだと思うけど、だって大金なんだもん。

そして手術を終え、びっくりするくらい元気な今だ。でも、妊娠の可能性は以前にもまして厳しいものとなってしまった。その事実が今とても私には抱えきれないほど重い。

仕事は絶対休まないといけないから上司にはいろいろ伝えて休んだけれど、同僚には一切伝えないでほしいとお願いした。同僚にはただ体調が良くないから休むとだけ伝えた。その後少し休んで仕事に戻ったものの、結局何があったのか説明しないまま今も働いている。きっと気になって仕方ないんだろうな~と思えるような質問をされることもあるけれど、笑いでごまかしている。言えたら楽だと思うけど言えない。

ここ最近、上司からそんなに言えないこと?って聞かれることが増えて考えてみるけど、でもどうしても言えない。

おそらく私がひっかかっているのは、「病気によって、ほぼ妊娠が望めない」ということ。ただそれだけ。

でもアラサーになった今、私にとってはすごく大きなことになった。周りの友達がたくさん結婚し出産していくなかで、自分だけがなんとなく置いてけぼりになっているんじゃないかと思えて仕方がない。他にもたくさんあるだろうけど、私にはもう出産して子育てをするという喜びとか幸せとかは感じられないんだろうなと思うと、またそれはそれは切なくなる。考えはじめたら、何のために生きてるんだろうなぁとか、何を幸せに感じて生きていけばいいんだろうなぁとか思ってしまう。

もちろん、海外旅行はとっても幸せな瞬間で(今は行けないから図書館並みに地球の歩き方をそろえてしまった)、大好きなアーティストのライブもこの上なく幸せで、ライブに行くたびに毎回好きなアーティストと目が合うので運命感じているんですが。それでも埋まらない穴がぽっかりある。十分幸せじゃない?と思われるし、思いつきで行っちゃう海外旅行を羨ましいと言われることもあるけど、何か満たされない。でも、もともと熱望するほど出産したいと思っていたわけもないんだけど。これまた不思議。

たぶん私を説明する単語が今までは「眼鏡かけてロングヘアの…」とか「カルボナーラ好きの…」とかそういう言葉から、「妊娠が難しい病気らしいよ…」みたいなことにかわってしまうのがすごく怖いのかもと思う。カミングアウトしてしまうと、なんとなくこれまでの関係が変わってしまうような気もする…

なんとなく、わたしかわたしではなくなってしまう感覚がある。

ほぼ既婚者で子育て世代の人たちの中で、どうこの話をぶちこめば正解なの?と思うわけで。これは信頼しているかどうかとかそんなレベルの問題じゃない。たぶん大事に思っているからこそ言えないんだと思う。

今は独身で彼氏もいないので、もし本気でお付き合いすることになったらどうやって言えばいいんだろうとか、新たな悩みもある。実際、子ども無理だよって言ったら別れを切り出されたことだってあるし。結婚とかほぼないかもなとかさえ思える。そうなったら犬と住む家建てて仲良く暮らそうかな。

きっと時間が経つごとに消化されて言えるときがくるだろうとは思う。そんな日を待ち続けている。いつか、いつか。誰かが解決してくれるわけでもないし、自分でやっつけないといけない。その間に私がびっくりするほどひねくれていきそうで怖いけど。すでにひねくれてるし。

ずーっと言えないことに対してなぜ?とモヤモヤしていたけど、最近岸田さんが書かれた文章でモヤモヤに若干の光が差した。岸田さんのブラジャーの話を読み始めてからずっと岸田さんファンだった。今も変わらず。弟さんとの話が好きなんだけど、そこに何かヒントがあるのかなと勝手に思っている。これからも岸田さんと岸田さんファミリーを応援すると同時に、私も日々受け入れて消化できるようにのんびりいきたいなぁ。

せっかくだから、noteで病気に対する思いの変化を書いていこうかな。いつか言えるその日まで。

でも書けないかもなぁ。根っからの関西人だし、こういうどんよりした話はあまり好きじゃないし。これでゲラゲラ笑ってもらえたら嬉しいけど、そんなこと、ねぇ。

もし友達にバレたらびっくりされるな。絶対LINEとかやめてほしいな。そっと心にしまっておくか、爆発してほしい、頼んだ 友 よ。

まとまらない、伝わららない文章、岸田さんの眼中に映ると思うと恐れ多い。ごめんなさい。こんな機会をいただいて、ありがとうございます。


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