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シンドバッド船長—道頓堀モダン気質— /長谷川修二

シンドバッド船長—道頓堀モダン気質—

長谷川修二・作
新青年昭和3年12月号掲載


 大阪では矢張り道頓堀であるが、古来の伝統的な道頓堀情緒などは見度(みた)くも見られなくなっている。芝居小屋と芝居茶屋の雰囲気を、神(かん)ながらの道頓堀情緒と考えて、近頃の大阪などに来ようものなら、昔の幼馴染の家が貸家になってた程の失望を感じてしまう。今更にモダン繁昌詩を書くなら、どうしてもカフェを謳わなければならないのだ。大阪は橋の都であったが、今ではカフェの街である。カフェの数(すう)は全大阪の橋桁の総和より多く、カフェという所に行かない青年の数などは、カフェが閉る午前二時の雨夜の空の星ほども無い。
 所で、その大阪の、道頓堀の、カフェの特徴は料理の吟味でもなければ、カクテルの振り方でもなく、女給の数である。無数、乃至は雲霞の如きという形容は、今日ではカフェの女給の形容の為に残されている。テーブルの数より女給の数が多い事がある。読者のようなモダン・ボーイが一度びカフェに足を入れようものなら、忽ち身動きも出来ない程の女給嬢の蜂起に会って戦慄を覚えるに違いない。午後三時より午前二時まで、又は午後五時より午前二時まで、とりどりの強い色彩に飾った彼女嬢たちが、倩(せん)たるモダン巧笑をお客に振り撒いて居る。そして、諸君が東京生れだったら、矢庭に彼女嬢は腕を伸して君の頬を撫で廻しまあ鬚がないのね、と取って置きの東京弁を使うし、君が既に何度も足を運ばせて居たならば、じゃダイスしない? と云って、接吻を賭けて賽を転がす。君は口紅が皮膚の結締組織にまで浸透しやしないかと、あわてて、ハンケチを出すのだ。
 槁木死灰でない限り、必ずや心飛揚し浩蕩たりになってしまう。カフェが夜開く所、多くのニユンフアイやナイヤデスが乱舞して、青年も老年も彼等と酒をのんで、酒の酔いと共に、宗教的陶酔をすら感じて、オルギヤの神事を行う。偽物のフィリッピン人のジャズ・バンドにあわせて、イオオ! バクケ! エウウ! バクケ! と歌う。始終来(きた)るお客の好男子ジョン・バリモワの姿が見えると、我々は人間の眼の作用に驚嘆しなければならない。女給嬢は、歓迎、追憶、憧憬、羨望、怨嗟、恋慕の表情を一瞬に放送する。余の如き者には不可解な或る特殊な感情を放送し受信する為に、道頓堀の脂粉した女給嬢の眼は進化して蝶のような複眼になっているのかも知れない。
 所で、シンドバッド君は経験ある船長で、水先案内人であった。
 優れた船乗が、如何なる快楽を得てしてもハヴァナの出帆を忘れない様に、如何なる港へ着いても酒と恋の在場所を直感する様に、シンドバッド君も、心臓から心臓へと不定期の航海を続けて居た。彼は殊によったら、エロースと秘かに親友の契を結んで居たかも知れない。道頓堀のカフェの女性たちは、自分たちが砂鉄ででもあるかの様にシンドバッド君に引きつけられて行った。彼女嬢たちが眼の下の黒子を気に病んだり、手の指を細くする薬を尋ね廻ったりする時は、確かにシンドバッド君の廻し者エロースの冷箭が彼女嬢の胸近く狙われた結果なのであった。
 恋の航海者シンドバッド君はさすが職業を忘れずセーラー・パンツを穿いて居たのだが、余の不思議は彼が別離の寂しさを感じないものなのかどうかということなのであった。船乗りは、何週間かすれば思い出の港へ戻って来る。しかしシンドバッド君の航路は放物線を描く彗星の軌道だから、かりそめの別れが本当の別離になろうというものなのだ。
 シンドバッド君は此の点、いつも元気よく、快活であった。恋の三角も彼を狼狽させはしない。
Sweets with sweets war not, joy delights in joy.という詩人の言葉は正に彼の為に作られた様に見えた。

 余はこのシンドバッド君と、我々がロマネスクと命名した某座の某女優嬢と三人で、道頓堀のカフェに遊んだ事がある。
 夜が更けて、若い会社員たちがビールに酔って顔を紅くして居たのであったが、当時道頓堀を風靡して居た××一座の女優ロマネスク嬢の顔と、シンドバッド船長の出現に表面にこそ顕れね、センセーションを起こした。他のお客は遠慮勝ちに二人の顔を見、やがて無遠慮に余の頭から靴までを注視した。何もそんな二人連れに附いて歩く所はないじゃないか、と云われるかも知れないが、「三本」は役なんだから、仕方はない……。
 ロマネスク嬢とシンドバッド君は、平気で余を忘れて、会話に這入ったが、余はテーブルの係の女給嬢に心を惹かれた。彼女の言葉遣いが如何にも大阪でなかったので、尋ねて見て、果たして東京生まれという事を知ったのだが、それは一寸後の事である。 
 ロマネスク嬢は花の衣装の洋服を着て、頭の型と同型の帽子の下から蒼く剃った頸を見せ、白く豊かな両腕を肘で支え、白く小さい歯を真紅の唇から見せている。吾が女給嬢は流行から忘れられた耳隠しに結い、エプロンの下から麻の葉くずしの着物を見せ、装飾もない細い指と細い手を卓子(テーブル)に並べて、余と話をする。時々、彼女の視線が投げられるのだが、明らかに彼女自身の生涯が失敗で、ロマネスク嬢のそれが成功である事を承認して居た。そして此のカフェが彼女の運命が齎した最後の棲木(とまりぎ)である事を浪漫的に知っていた。
 東京で育った娘が、父親の不慮の死と共に来た一家の瓦解の後に、運命を開拓しに大阪へ来た、というのが彼女の物語である。自分だけに信頼した勇ましい小さい痩せた彼女の大阪の日記は繙(ひもと)く必要もあるまい。勇敢な彼女は、兎に角、数年の後、肺病で片っぽの肺を殆ど失いながら、道頓堀のカフェに働いている……。
 医者が淡路島へでも行けば、と云うんですの、と彼女は淋しかった。余は自分の月末の色々な収入を予測して、此の娘を淡路へ転地させる費用を負担出来るかどうか、考えた。
 しばらく経って、余とシンドバッド君はそのロマネスク嬢が××一座をやめて、あるカフェを開くという話を聞いた。この話は相当二人に興味を與えたので、二人は新築中のカフェなどを発見する度に、これじゃないかしら!と一寸心を踊らしたものであった。吾々は始終胸を踊らして居たが決して無駄ではなかった。余もシンドバッド君もお陰で一分間八十回の鼓動にあって、動脈血を静脈血に変化させたし、その血行の賜で、お互いに貧乏でも、兎に角、酒を飲んで道頓堀のカフェを巡礼する事が出来た。
 ある日——或る夜、と云った方がいいかも知れないが——の事、吾々は、午後四時まで飲んで、到頭道頓堀を追払(おっぱら)われ、知る人ぞ知る道頓堀の南方の certain quarter  までのしてしま(しま傍点﹅)った。勿論、酒をのむつもりなので、未だ起きているらしい怪しきカフェの扉(ドア)を押し開いて、いい加減酔いざめの、酒をのんだのであったが、其処の女給嬢が大変な事を語って呉れたのである。
『××一座の××さんて女優知ってはりまっか? 此処へ来はる筈になっておりましてん。』
 OH!BOY! 吾々が耳穀(じこく)を傾けて聴いた所によると、吾がロマネスク嬢はその怪し気なるカフェの持主をパトロンに持とうとしたのであった!ロマネスク嬢の主宰しようとしたカフェ「ヌーヴァル・アテーヌ」が此処なのか!
 シンドバッド君はその翌々日、飛行機で東京へ出発した。シンドバッド君は熟練した、セーラーパンツで、よい水先案内人であった。彼は心臓から心臓へと不定期航路を続けて行ったのだが、ロマネスク嬢の港に対してはノビーレ少将の様に失敗したらしい。
 余は、かくして、不幸にも、水先案内を失ってしまったので、今は出鱈目に、当もなく、カフェを廻っては、酒精分を細胞に供給している。あのカフェの、肺病の痩せた娘はもう死んでしまっているだろう。余の姿は、宵から午前二時の道頓堀のカフェに見られる。余が、こうして調べた所によると、道頓堀のカフェの着飾った女給嬢は、皆病んだ父親、瀕死の情夫、監獄に行っている母親及び失った肺臓の一つを持っている。彼等が貧しく、苦労しているのは、単に、義務として、カフェをうろつく不良老年や不良青年に倩たる巧笑を撒く為なのである!

何で、カフェが、忘らりょか。


(完)


*参考資料


Sweets with sweets war not, joy delights in joy. 
Sonnet VIII / ウイリアム・シェイクスピア
大意:美しさは美しさと争わず、喜びは喜びの中で楽しむもの

https://ameblo.jp/poe-262/entry-12590102280.html

忘らりょか
→忘られようか→どうして忘れることができましょうか。忘れることなんて、できません。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1354174333


*編集後記

文字入力/幾島温
*著作権切れの著者でありながら青空文庫及び書籍に纏められた形跡も無いので、僕が文字起こしをして公開してみようと思います。ご遺族の方や御関係者の方、何かあればご連絡ください。長谷川修二氏の作品は当時のモダンボーイの空気を感じさせてくれて素敵なので、埋もれて居るのが勿体無く感じて居る次第です。仮名・漢字共に新仮名新漢字で入力しました。
*画像はTHE NEW YORK PUBLIC LIBRARYから随分昔にDLした物だったと記憶して居ます。

*僕による解説のようなもの


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