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前の人生を思い出したという友人からの手紙

長い付き合いのある友人からこんな手紙が届いた。

×××

僕が前の人生のことをはっきりと思い出したのは去年の3月28日だった。
奇しくも僕の愛する小説家・渡辺温の四十九日に当たる日で、一人戦慄したものだが。
閑話休題、前の人生をはっきりと思い出した僕を襲ったのは激しい感情だった。
僕には愛する恋人が居たようで、その彼女が確かに存在した!ということをはっきりと手応えを持って思い出したのだった。

喩えるなら、保育園の時に仲良かった友達とのことを急に鮮明に思い出したような、小学校の時に遊んでいた遊びとその場所と、友達との会話をはっきり思い出したような、そういう感覚に近かった。
在るとは証明できないけれど、自分の中では疑いようもなく在る現実の記憶。
そういう感覚だった。

彼女のことを思い出した僕は
「好きだった、愛してる、出会ってくれてありがとう、守らせてくれてありがとう、僕に男としてカッコつけさせてくれてありがとう」
そういう感情が溢れて止まらなかった。
他に思い出したのは、彼女の髪や身体の感触。それが最初の日のことで
それ以降僕は1年以上ほとんど毎日のように新たな情報を思い出し続けている。

最初に思い出した日は湧き上がる感情が止まらずに結局夕方4時から夜中の0時頃まで、都合8時間は泣いていたっけ。
嗚咽が止まらなくて、けれどそんな日はこの日だけじゃなく、此の後幾度(いくたび)も訪れることとなる。

そりゃ感情持て余すって!
戸惑うよ。会ったことのない人のことをこんな風に思っているだなんて。
この人生で体験した事のない出来事への烈しい感情。

霊媒師のひ孫である僕は「霊に憑依されている?」という可能性も疑ったけど、どうもその感覚は違って、これはどうしようもなく自分のことであった。まあ理解る。
冒頭でも述べたように、自分の思い出は自分のものであるという確信があるものだ。
君だってそうだろう?

そうして二度目の閑話休題。
前の人生の、主に感情を激しく思い出した僕は悟った。
感情だけが死んだ後も唯一持っていける財産なのだなあという事を。

死んだ後にもこんなにも激しく、愛だの感謝だのが湧き上がるなんてすごいなあと、我が事ながら俯瞰で眺めてそう思う。
それと同時に思うのは、今迄ずっと忘れて居たのに、思い出した瞬間烈しい感情が蘇るのと云うのは、前の人生で受けた感情は魂に深く刻み込まれているもの物だろうと云う事だ。僕に限らず。
恐らく僕は、思い出した方がこの先の人生の為になるから、思い出したっぽいのだけど、思い出す必要がない皆にだって屹度、何か、何処か深くそういう感情が刻み込まれて居るかも知れない。
花を見ると癒されるとか、動物が好きだとか、そういう理由がわからない衝動って大概前の人生に理由がある気がするよ。此れは僕の体感だけど。

今までの理由が判らない根拠なき好きや自信などは、凡て前の人生に答えが在ったなあと感じる。
喩えば、君も知っての通り僕は暑苦しいほどに人を褒めて励ますのが好きなのだが、それは件の恋人にそうして居た様だったけど、その子がいない今、僕は誰彼構わずその行為を再現して居るという訳で、鬼滅の刃の猗窩座が恋雪さんの記憶を無くしても尚、雪や花火に拘り続けたのと同じだなあなんて感じる。

前の人生で堪らなく愛していた女の子とは此の人生では会えそうもなくて、何処にも居ないというのは何となく気配ですごくよくわかる。

彼女と結ばれなかった僕は世界中に絶望してずっと孤独に生きていくと決めた様だった。
またそのうち会えたら良いんだけど。

サテ、此処まで読んで君は僕の話をどのくらい信じて呉れますか?

×××


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