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猫は大事な家族だから。

ねこ生後2ヶ月ほどの子猫を里親さんから引き取って、自分の猫として飼い始めた時、
「この子が生まれてきてよかったって思えるような育て方をしたい」
と考えた。ペットは大事な家族だから。

その結果、猫は比較的のびのび育ったように思う。勿論しつけはしつけとしてしっかり行った。

僕になついた猫は、僕が出かけようとするといつも全力で阻止をした。
そのたびに僕は真剣に猫と話し、時には真剣に喧嘩をした。

猫と喧嘩して僕は確か3回ほど泣いた筈である。

「この子が生まれてきてよかったと思えるようになってほしい。自分のセンスや価値を疑わず、この子らしさを伸ばしていってほしい」


そんな風に考えたのは、やっぱり本来は野生である猫を自分の愛玩用にと、不自由な生活をさせていること後ろめたかったからかもしれない。
けれどそれと同時に、昔実家で飼っていた猫は、野良猫出身で苦労していたせいか、臆病で神経質で気が弱く、いつも苦労していた。見ていて可愛そうだった。

そういうわけで、初めて自分の猫として飼ったこいつには幸せになってほしいと考えて、ひっそりと姓名判断でいい画数を選んで名前を付けたりもした。猫は大事な家族だから。

そのお陰かどうか知らないが、こいつはまぁまぁラッキーな猫である。

のびのび育った猫は、ほんとうにのびのびしすぎていて、時に僕を困らせた。
けれど、お風呂で入浴剤を入れてぐてーっとなってる僕を死にかけだと思ったのか、必死で起こそうとしてくれて、それでも風呂からでないから、聞いたことのない声で必死で家族を呼んできてくれたり、腕に塗った薬を毒だと勘違いしたのか、匂いを嗅いでぎょっとした顔をして必死で舐め取ろうとしてくれたりだとか。

千葉出身のこいつは、まじで義理人情に厚いヤンキーという感じだった。

後々考えると、猫を飼育するのに「自己肯定感をはぐくむ育て方」もクソもねえよとか、やりすぎだったんじゃないかな、とか思うんだけど、案外そんなに悪くなかったのかなあとも思う。

しかし、同じ思想に基づいて育てた我が子も、この猫と本当によく似た性格に育ったので、このやり方だとこういう性格のヤツが出来るのかなあと思いました。


以上です!


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