見出し画像

僕は猿股ボーイ

1927年のモダンボーイの生まれ變わりである僕は、當時のモダンな文化や風俗は見れば大體直感で判るもので、建物なんかも大筋外した事がない。
明治時代と大正初期、それから1923-1930と昭和6年ー昭和16年頃迄。この區分で大體區別が付く。

少し前まで僕は江戶時代や明治初期を舞臺にした話を書いてゐて、その際に褌や下履きの歷史や、どの階級や職業が何時頃迄どんな感じでどのタイプの褌を履いてゐたのか調べまくつてゐたのだけど、昭和初期も褌だつたといふ記述を、地方の歷史資料館のやうなサイトで見附けて、さうなのか……東京のモダンボーイたちもああ見えて褌なのか…………?
と思つて居た。

然し僕の中で何かしつくりこないといふのか、釋然としないものがあつた。あのスーツの下に褌……?
山高帽を被つてネクタイを締めてゐても、褌?
まつたくピンと來なかつたのである。

先日大正末期から昭和初期の女性たちは、本當にノーパンだつたのか??とその下着事情を調べて居る時に、猿股の話を見つけた。
詰まり洋裝の時は女猿股を履いて居る人も居たと云ふ話だ。

女猿股の話が出て居たといふ事は當然猿股の話も載つて居る。
男性向けの下着で猿股といふものがあり、女性向けにも「女猿股」が販賣されて居たといふ話だ。

此れを讀んで僕は、え!?猿股なんてものがあつたの!?と檢索をする。
調べてみれば、現代のボクサーブリーフと類似の形をしてゐるといふ話だつた。成程、褌が全くピンと來なかつた理由は此れかも知れない。
僕はボクサーブリーフが登場して以來、何故だかあの下着が好きだつた。
鑑賞用としても從來のトランクス型より性慾が掻き立てられたし、自分が履くにしてもボクサーブリーフ一擇だつた。
それは僕が過去にボクサーブリーフに似てゐる猿股を愛用してゐたからなのだらうか?

何にせよ實際に猿股を履いてみれば分かる事だ。
自分がもし生まれる前にも履いて居たなら、何か感じると所が在るだらうし、モダンボーイを目指して居る僕は一先づこの猿股なる下着を履いて、己のモダンボーイとしての純度を高めてみようと考へた。

現在販賣されてゐる猿股は主に白と駱駝色の二種類らしく、パッケージデザインはおぢいちやんの家にありさうだと思つた。僕は生まれる前に祖父とは死別して居るのだけど。
白と駱駝色、3日程迷つた末に僕は駱駝色を選んだ。年寄り臭ひ感じもしたけれど、どうも白は落ち着かず駱駝色しかないなあといふ氣持ちだつた。
實際に戰前の猿股は駱駝色ばかりだつたといふ事を僕はそれから暫く後に知ることになる。

2枚購入したつもりだつたが、實際は1P2枚入りを2P購入して居て、僕の元には4枚の猿股が屆いた。
僕は二日に一回のペースで洗濯をするので四枚あれば每日猿股を履くことが出來る。

猿股は想像以上に僕の心にフィットして居た。
履いた時は何とも思はなかつたのだが、一度此れを履いてしまふともう二度と、無印良品のポリエステルのボクサーブリーフやファミリーマートで買つた鮮やかな色のボクサーブリーフ、それからしまむらで買つたミッフィーの總柄のボクサーブリーフには戾れなかつた。
否、戾れなくなつたと言ふべきか。
他の下着も履かないと勿體無い思ふのだがどうしても手が伸びない。
駱駝色の猿股ぢやないと心が曇つてしまひさうなのだ。
猿股を履くと氣持ちが上がつたり樂しくなる譯ではないけど、ああこれだな、と落ち着く感じがある。
かつこよくはないけど、まあこれでせう、といふ氣持ちだ。

1ヶ月程猿股を履き續けてゐる內に僕はそんな己に氣が付いた。
猿股を知つた今となつては、ボクサーブリーフを履いて居る僕はまやかしのやうに思へた。僞物で虛像のやうな僕。

所で僕は生まれる前に豫め去勢されて來て仕舞つた男なので男性器がない。
故に義手や義足の要領で、義男性器を着けて生活をしてゐるのだが、驚くことにこの猿股は僕の義性器が全くズレないのだ。
ズレない樣にする爲には專用の下着が在るらしいのだが、そちらは安くなくデザインも限られて居る爲、購入を躊躇つて居た。
それ故に猿股の此の機能は嬉しい誤算だつた。

あゝ、此處迄來ると、猿股と僕の出會いは必須であり僕たちは結ばれる運命にあつたのでは無いか!?
さう思はざるを得ない。

さういふ譯で僕はこのお洒落でもない、おぢいちやんのやうな駱駝色の猿股を履き續けて居る。猿股が落ち着くのは屹度、僕が生まれる前の人生で、每日の樣に履いて居たからなのでせう。

性感帯ボタンです。