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僕が男に戻ってから。

みんなが思っている以上に多分、ぼくは”男”でもう女には戻れないなって思ってる。一ミリたりとも。

生生しくなるから余り言ってないけど、そもそも性癖やなんかを突き詰めた結果に見つけたこの性自認なのだ。
社会での立ち位置だとか女としての義務やなんだとか……そういうところではなくて、シンプルに「ちんこで人間関係を作りたかった」ただそれだけなのだ。ちんこを使って愛する人とコミュニケーションを取りたかったのだ。そしてそんな風に満たされた自分として、社会と関わりを持ちたかった。
それだけだった。
つまりシンプルに、ちんこなのだった。

男の髪型にしよって思って分け目を変えてから、髪の毛を丁寧にスタイリングするようになった。とはいっても今までが雑すぎてやってなかっただけなので、やっと並になれたと言う可きかも知れないが。
ドライヤーで乾かす時にブラシを使って丁寧にするようになった。
女の髪型、ショートボブの時は、ヘアクリームかオイルをパサつき防止でつけて、あとは乾けばいい、どうにかなるだろうという感じでドライヤーと共にブラシを使うなんてことはなかった。前髪もいつもぐちゃぐちゃだから帽子かピンで抑えてなんとかしていた。
自分の髪が多いというのもあるけれど、あの頃は髪の毛を乾かすのがとても面倒で、1時間くらいタオルドライ放置で少し水分が減ってから漸くドライヤーを使うという有様だった。それでも雑にぐちゃぐちゃっと乾かす。そんな風だ。

自分は不器用で雑な性格だから、ドライやーを丁寧にすることができない、そう思っていたのだけど違ったのだ。

好きではない偽りの自分だったから、大切に扱う気になれなかった。
それだけなのだ。


自分の顔にずっと劣等感あった。
鏡や写真に映る自分の顔は、なんともいえずダサくて好きになれなかった。
どれだけ可愛い格好をして取り繕っていても、表情がいけてなくてこれはもう人間性を矯正しないと可愛く・美しく・垢抜けないんだなあと思った。
だけど今ならわかる。
それは女の子の表情じゃなかったからしっくりこなかったんだ。って。
僕の内面は男だから、男のマインドが動かす表情筋になる。だから女の子の格好をすると合わないし、可愛い女の子、という感じにはならない。
自分が男だと気が付く前から、セルフイメージは青年、という感じで自分の表情や振る舞いは気を抜くと、どうも青年モードでやってしまうなあという自覚があった。

男になった今は自分の顔が嫌いじゃなくなった。むしろ結構好きかも。
冴えなくてダサいと思っていたその表情も、いい顔してるなあ、歳を重ねた味があっていいなあと思うようになった。

一人称を実生活でも「僕」にして2ヶ月が経つ。
言葉遣いや人とのコミュニケーションの取り方も、「女として」身につけたものが大変に多いからその辺りも少しずつ剥がれていけばいいなあと思う。古い角質のように。無理に乱暴にはしないけど、誰かの喋り方を真似たものはもう捨ててもいいんじゃないのかなって。

そんな風に過ごしていると、名前への違和感もじわじわと立ち上がる。
僕の名前はどうしようもなく女の子の名前で、きっと多分いい名前。綺麗な字だし、お嬢様のようだと個人的にいつも思っていた。それ故似合わないなあ!!と子供の頃から歯痒かった。自分の名前が好きじゃなかった。
もしも名前を変えたら、それこそ今度こそ完成で、言葉遣いだって不自然なものが抜けていきそうだと思った。

けれど大事な人たちは、僕を下の名前で呼んでくれているので、変えるとしたらみんながしんだあとだな。なんて思ったりして。僕は誰よりも長く生きる予定だから。


そういえば、話を最初の「ちんこ」の話に戻すと、僕の本当の性嗜好で言えば入れる側になりたかった、なのだけどまあ、愛する人のためなら受けでも大丈夫、そんな感じでございます。
バイセクシャル男子な性自認なので。今のパートナーとはそのまま問題なく今まで通り仲良く変わらない。


詰まる所、僕はただの文系男子なのです。

いやあ、これで女の体を持っていたら、なかなか男だって気がつかないでしょう。難しい。男の体だったとしても比較的中性寄りだもんね。

それじゃあ亦、お会いしましょう。
今日は此の辺りで、左様なら。


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