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創作録:すすんでいくこと。

創作活動上で落ち込むことがダブルパンチで続いてダメージを受けていたのだが、そろそろ蹲ってばかりでも不可ない、立ち上がらなくてはと思っていた処で友人から作品を大層褒めてもらい中々に染み入った。それは以前からその友人が褒めて呉れて居た物だったけれど、此のタイミングで改めて来るとは。もういいよ、進んで善いんだよというメッセージのように感じた。加えてもう一つだけ救いに成ることも重なった日で、ああ僕の才能を信じても良いのだなと思った。

創作をすることの最初の動機は「自分のため」。自分の心を安定させるため、理想の物を再現するため等々、全く以って何処を切っても自分のため以外に他ならないのだがそれでも作っていく内に「人に褒められたい」「認められたい」「共感されたい」等の思いが募りやがてそれは欲となり、酷い時にはその欲望に当初の純粋なる動機が喰われて仕舞う。
褒められることはご褒美で誰か世の中から花丸をもらいたい、そんな気持ちが湧くけれどそういう気持ちを僕は抱いては不可ないのかも知れない。誰かを喜ばせるために物を作れるほど僕は器用ではないのだ。
大抵その気持ちは破滅へと繋がって仕舞う、僕の場合は。野心ではなくとも「生活のお金を得る為に他人に評価されるものを、他人にとって成る丈得のある物を」と思って作ろうとしたら肺炎と胃炎で40度近い熱を出し2ヶ月を棒に振った。あの時にもう懲りた筈なのにそれでもまだ、甘い蜜のような感触のそれを渇望して仕舞う。

ダメだよ〜っ!!!

とは云え矢張り自分の思いや価値観、人生に於いて寶だと思っているものを表現するからには共感されたい。「嗚呼それ良いねわかるー」と思われたい。
何処かへ出かけて友達を作ることが苦手な僕は自分が創作をした物を通じて人や社会と仲良くなれたら良いのになって思う。

何時かそんな作り手になって居たい。
そこへ歩みを進めるために自分だけは自分の才能を信じ続けて居たいよ。自分を信じる事は杖であり靴だから。此れが無いと歩むことは困難だ。

自分を信じる杖が折れていて、杖を直そうとした時にタイミングよく友人からの言葉が届いて救われた。当人はそんな事情はつゆ知らずな訳でまったくの無関係な出来事だった訳だけど。
この偶然が重なり僕は向き合うことが怖くなった原稿を、ちゃんと進めていかなくちゃなと思ったのだった。


おしまい。

そう云う訳で今日は人が読みやすい文章と云う物を意識することをサッパリ止めて好きな言葉を使いました。此処まで読めた貴方は大層センスのある方です。有難う。


性感帯ボタンです。