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::::千切れた紙片,小説に関する苦悩

体調が悪い中での作業は何をするにしても3倍くらいの負荷がかかる。そういう中でずっとやってきたものだから、思うように成果が上がらず心がぽきっと折れてしまった。こういうことは時々あるけど年々それは脆くなっている。そりゃそうだ、僕の心を何十年ものだと思っているんだい。家電も家具もよくよく手入れをしないと劣化して使えなくなるような年数だ。パソコンに至ってはとっくに買い替えしているような年数。そういう年数をやっつけメンテ、雑なメンテ、不器用なメンテ、見よう見まねのメンテナンスでやってきた。まあとにかく疲れたということ。

周りにはたくさん人がいてくれているというのに疲れている時って自分の孤独な面にばかり目が向かう。どんな人だってそうだろう、孤独な面とそうではない面、それが両面あるものだと思うのだけど。どうもそういうところにばかり目が向かうというのは本当に疲れている。疲れている。

何で心が折れたかというと、小説! 小説。いつだって小説。小説がうまくいっていたら人生がうまくいっているような気がするし、小説がうまくいっていなかったら他のこと全てが満たされていても全然ダメだ、人として足りてないってそんな気持ちになる。

小説がうまくいっていない。きっかけは、まあまあだろうと思っていた作品がむちゃくちゃダメだったようで、よくよく見直してみれば確かに足りないのかなあ……と思って色々と1ヶ月近く修正加筆していてつい一昨日くらいに、だいたい完成だろうと思ったところで見直した結果、あーこれ全部書き直した方がいいなあ、という判断になり、なんかもうたくさん頑張ったつもりが全然ゴールが見えなくなってしまったことと、それから創作にずっと手応えを感じないこと、あと風邪をひいて体調が悪いことが重なってぽっきり折れてしまった。具合悪くて朦朧とした中で読み返した物が「直したところはまあいいけど、全体でみたらだらっとしているし面白くないなあ」という感じだったので、もう一度読み返すこともなく描き直すべきなのは間違いないだろうな。

ああ。疲れたな、疲れたよ。ぜんぜん、ぜんぜん……。疲れた。真剣に手応えが欲しい。自分は自分の描く文章や内容が好きだからそこを信じていきましょう。でも今はなんかもうそれだけじゃ進めないくらいなんだか疲れて心が折れてしまった。疲れた。疲れて折れそうな時は、ネットのタロット占いとかでたくさん褒めてもらってそれで心を保っていたのだけど。なんか疲れちゃった。

小説書くことで自分の居場所ができたらいいのいなあ。それがずっと願いだ。でも全然足りないね。いつも。何でだろうなあ。(解を求めていないタイプの問いかけ)僕の居場所ってあるのかなあ。

けれど書くことで悲しくなってしまったことは、書くことでしか癒されないから、なんか小説を書き続けなくちゃいけないんだ。あーでも、あの修正中の原稿が自分の中で軽くトラウマだ。しんどい。見るのきついな。なんだそりゃ。

書くことの楽しさを思い出せるようなものを書きたいなあ。書かないと死んじゃうことはわかっているのに。疲れたなあ。自分の文章を好きになりたいよ。



終わり。





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