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存在しない握手会

握手会を経験したことがない。

洗うべき時に洗えなかった手があって、今ここにしか存在しない手があることを知らない。
手は覚えてて、そしていつか忘れるけれど、握手したら指が心臓みたいになるんかな。

今は画面越しでお話しできて、一時停止したように一瞬でホワイトアウトするお別れはなんとも言いがたくてもどかしい...!
握手会は言葉よりも目で伝わるていう方が感覚として強いのでしょうか。考えたって、想像したって、その範疇を超えられやしないんですが。
だから、ミーグリでお話ししてみるとわたしの頭の中で考えたそのひとはほんのわずかなんだというが明らかになっていく感じがする。

普段テレビで見てるひとたちに、自分がいつも使ってる端末越しで会えるっていうのはすごいことだなぁと思う。
想像なんて実感がないものだから、テレビやインタビュー記事とかで見たり読んだりして、そのひとを"知った"ような感覚になってるのかもしれないです。

わたしには日向坂が心頼りみたいになってるところがある。日向坂のライブに行きたいとか、会いたい人とか。実際に行くかどうかじゃなくて、そう思えるものがあるってことが頑張れる理由になったりする時がある。

その人を前にして冷静な状態でいられるはずもなくて、夢中になってしまうと自分の熱狂に距離を置くことができません。その時の心境はたぶん複雑な状態になってて、判断力を奪われてる。
なんというか、コロコロ変わる表情はどこか掴みどころがなくて、わたしにとってそのひとは異星人みたいなひとです。
推しが載っている雑誌や記事はなるべく読むようにしています。ページをめくって目の当たりにするのは年相応の表情や背伸びした表情だったり、押忍メンと名付けられるワイルドな表情。
はたまた地球を飛び越えて宇宙船に乗って世界を救う隊員に任命されたひと(情報ダンスは意味わかんない展開でどこかおかしくて可愛くて)。
気づくとチャームポイントがありすぎてかわいいだけじゃ足りない。
そんなところを魅力とか才能ていう言葉だけに収めたくはなくて、ずっとその何かを探してて。
説明ができなくても、そうやって可愛いとか素敵と思ったことをなかったことにはしたくなくて、もうひとつ引き出しを作るみたいにその感想を残しておきたい。いっそ頭のなかに油性ペンで書くように刻み込めたらいいのになと思う。
"あっ!"と思った瞬間のそのひとの可愛さや素敵さを"ヤバい"と言ってしまうのは直感で生まれた感情なのかもなと思いました。
わたしにとってその感情がもろに溢れてしまうのはライブなのですが、その明るいパワーに圧倒されてる時、咄嗟に言葉が思いつかない。圧倒されながらすべてを掴み取ろうとはしていないし、しきれないでいます。たぶん、好きになったのはその人が鮮やかに見えた一瞬の時間なのかもしれないなと思う。
それを確かめたくて何度もライブに運びたくなる。
"遠いのに近いような存在"であって、ほんのわずかな一面を見てるだけでは同じ人間だと想像するには限界があるんだなと感じました。


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