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お店屋さんごっこへの情熱

幼稚園、保育園に通ったことのある人なら一度は経験したことがあるのではなかろうか。

そうお店屋さんごっこである。

FBでどなたかのお子さんが作ったであろう紙製のお寿司を見た時、あの頃の…まだピュアだったころの私の秘めたワクワク感が蘇ってきてしまった。
グルーガンをチョコソースに見立ててアイス作ったり、お弁当箱作って中におかず詰めたり、すべてが楽しみだった。
にもかかわらず、私はお店屋さんごっこ当日に熱を出し幼稚園を休むというオチ。(たしか翌日他のクラスに混ぜてもらって買い物だけした)

今思い出してもお店屋さんごっこはワクワクする。
でも、お店屋さんごっこの一体何が、大人になった私の心をこんなに揺さぶるのだろうか。
もうお買い物も一人でできるし、ものを作って売ることもやろうと思えばできる。でも私は、「お店」ではなく「お店屋さんごっこ」に惹かれているのだ。

そんな世の中で1,2を争う、どうでもよいことを真剣に考察してみようと思う。

お店屋さんごっこは、「ごっこ」とつくように、まねっこ遊びの一種だ。幼稚園ぐらいの子どもは大人の真似をしたがるし、ごっこ遊びをすることが社会勉強の一種になる。

当時の私もきっと大人への憧れがあったと思う。私は幼稚園児にしてはおませさんだったし、お化粧とかおしゃれとかがしたくてたまらない時期だった。加えて店員さんへの謎の憧れがあった。「いらっしゃいませー!」とか、「おつりは200円になります」とかめちゃくちゃ言いたかった。

じゃあ今憧れがあるかというとそうでもない。
もう大人になっちゃった(一応)し、レジ打ちなんて焦って絶対業務覚えられない、と恐怖すら感じる。

だから今ひかれる理由はそこではない。

だがもう一つ思い当たる節がある。
それは商品が本物に寄せた偽物であるということだ。
要するに食品サンプルのリアルさに大興奮してしまうのと同じ感覚だ。
本物と同じパックの中に偽物のお寿司が入ってるとか、本物のアメみたいにセロファンに包まれているとか、リアルにものすごく寄ったフェイクがあった。それは商品の見た目とか質感とかじゃなくて、そこでのやり取りとか、すごく自分の理想の仮想世界(と言うと大げさだが)がある。みたいな感じ。

どうやったら喜んでくれるかなとか、どうしたら売れるかなって考えるのも楽しかった。

ごっこ遊びって、多分今のテクノロジーがあればもっと高度で面白いものができると思うんですよね。
でも、私は紙とか牛乳パックとか、家にあるゴミになっちゃうようなものを先生たちが工夫して商品に変えて、園児たちはワクワクしながら手で感触を探りながら、失敗しつつ作ってるから良いんだと思う。

なんか今すごいお店屋さんごっこがしたいし、幼稚園とか行って園児のお店屋さんごっこに参加してみたい。
これ、普通にやったらめちゃくちゃ楽しくないか?大人も子供もフェアーな通貨でお店屋さんごっこするの。使うものはみんな工作道具とおうちにある要らないものだけ。とさっこタウンってそんな感じなのかな?

思い付きで書きたいなと思ったから必死に打ち込んでたらもうこんなに書いてた。この文章を読んで人生に価値生まれる人とかほぼいないと思われるが、ここまで読んでくれたということはあなたもお店屋さんごっこ好きということで、あとでゆっくりお話しよう。

それではまた。

p.s. SW高知でピッチしたとき、たまたまこの記事を書いていたときのことを思い出した。公開しても誰も読まないだろうし、と思って下書きのまま放置していたが、なんでお店屋さんごっこを提案したのかが少しでも伝わったら、ただの変人ではなく、理由のある変人になれるかなとおもったので公開します…!

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