#22家族

病院に行った帰りにおばあちゃんちに寄る。
おじいちゃんが去年死んでから、前よりおばあちゃんちにはなるべく顔を出すようにしている。


最近おばあちゃんが、大学を卒業してからバイトをしている私が定職についていないことに不満を持っていることを遠回しに(だけど直接に)伝えてくる。
いわゆる昔の人の思考だ、まぁ昔の人なんだから当たり前だ。

今日なんかは姉を褒めることによって意味的には私のことを悪く言っていたけど、まぁ悪気もないだろうしおばあちゃんの時代には考えられない選択肢だから受け入れられないのも仕方ない。

私は確かにフリーターで、定職にはついていない。今の仕事はお金にならないけどやりたいことに一番近い選択を選んだつもりだし、お金は大してないので実家にいるのは確かだけど、その話とはまた別でここまでの生活と家の状況を鑑みても今の生活が悪いとも思えない。

おばあちゃんの時代と私の時代とで何もかもが違いすぎるし、おばあちゃんと私の人生はまるっきり違う。正直おばあちゃんは好きだしおばあちゃんにはたくさん大事にしてもらってきたからなんか、何も言えない。
おばあちゃんの話す、戦争や、疎開、畑や、田舎とか、正直私は教科書で見てきたことだ。

でも私も、23年生きてきたから何も知らないわけじゃない。いろんなことを見て、思って考えてきた。おばあちゃんは知ってることも多いけれど、私も違う多くのことを知っている。

知ってることが違いすぎるから、考え方が違うのも当たり前なのだ。

そしておばあちゃんは知らない。私がお母さんにさんざん苦労してきたことも、大学へ行って死ぬ思いをしたことも。私の憧れる世界のことも。

でも、今話したところで納得できるような、飲み込めるようなものではない。おばあちゃんにはおばあちゃんの正義が、世界があるんだから。それは間違っていないし、今更ずかずか踏み荒らしたくない。おばあちゃんはそれで立派に生きてきたのだから。というか、おばあちゃんのことは最後まで大事にしたいから。

おばあちゃんのことは大事にしたいけれど、毎回軽く嫌味のようなことを言われるのでちょっと嫌な思いをしてる自分もいる。嫌いになりたくない。嫌だと思いたくないのに。

そして、みんなの言うことを聞いてきたけど聞けば聞くほど色んな意見があって分かんなくなる。きっとどれも正解で、どれも正しくないんだろうなと思う。だから、もう、誰も何も言わないでくれともちょっと思う。

わかんなくなってくる。私は私で考えさせてほしい、自分の正解を押し付けないでほしい。親しい人に言われる正義ほど、苦しいから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?