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10歳youtuberの話は、かなり論点が足りない。

須藤さんのコメントに同調が広がると、より善い世の中からは遠ざかってしまうので、コメントを残しておきたい。

須藤さんは好きな女優さんで、彼女の個人批判ではなく、このコメントに対する意見なので、そこの誤解がないように読んでいただけると嬉しい。

・「彼が今、自由でいられるのは誰かいろんな人が、やりたくないこともやってくれてるからと教えることが親の務め」

→「こと」が労働を指しているという前提で。一番やりたいことをやれていない人はたくさんいるかもしれないけども、やれることの中からやりたいことを選んでやっている人が多いと思っていて、
「やりたくないことをやってくれている人がいる」という言い方は、多くの人の(職業)選択を尊重していないことにならない?

それに大人になったら、やりたくないことをやっている人が多いんだよ!みたいなメッセージになって、そんな愉しくなさそうな未来を大人が提示していいものかは疑問の余地も大きい。


・「ただ、1人の人が自分のやりたいことだけをやり、やりたくないことをやらなくていいじゃん、という社会になって、全員がそうなれば社会がおかしくなってくる」

→このメッセージがその通りなら、現代の日本社会はすでにおかしくなっている状況と考えられない?という反論はありそう。

立場の弱い人よりも強い人、個人よりも大企業、人よりもお金、地球環境よりも経済を優先している今の日本社会は、進化できているのか?退化しているのか?
既に、未来への影響を考えずに今を優先し過ぎた、やりたいことだけをやる社会になっているという見方もできるはず。

歴史から見ると大きな戦争も少なくなってきていて、物質的には今がとっても素敵な社会かもしれないけども、自殺している人や格差と貧困が増えている状況も見ておく必要がありそう。


・「あれも出来る、これも出来ると準備してあげる。そこからユーチューバーになるならいいと思うが、最初からやりたいことだけやって、振り返った時にあれやっとけばこれもできたかもしれないと、新たな夢が見つかった時に怖いんじゃないか」

→不登校にこの言葉がかかっているという前提で。

youtuberと学校を比較して後者の方が可能性が広がると言っているとしたら、そうとは言い切れないですよね。
youtuberはそれなりに認知されていて多様な人がいて多様な挑戦をしていて、多年齢・多文化・多様な人の多様な工夫に触れる機会は圧倒的に多い。

多様なものに触れて影響を受けて、学びたいことが国語かもしれないし数学かもしれない。図工かもしれないし。
順番と興味関心の深さが違うだけで、学校の方が可能性が広がるとは言いきるのはちょっと無理がありそう。

この子が学校に行きたくて行きたくてしょうがないくらい楽しんでいるなら、学校に興味関心があるので、そこから学べることは多い。

興味関心がないことをいくら強制的に学ばせようとしても、全然頭に入らない。これは学校教育だけではなく、大人の企業研修も同じで上司に命令されて自分で選んでない研修参加ほどお互いに無駄な時間はない。

興味関心につながれば、学ぶ場所は学校でもyoutubeでも、深くて一生懸命意欲的に学ぶんじゃないかな?


>将来に向け、いろんな準備をしてあげることが親の責任ではないか

→このコメントだけの印象からは子どもは親の持ち物感が出ていて、とくに「してあげる」という言い方が、子どもを尊重しているように読めない。

弱い立場にある子どもが大きなダメージを受けないように保護する責任はあるとおもうけど、子どもが自分自身で準備できる(自立)ように支援するのが親の役割ではないかなと。

義務教育で国が決めているからと言って、興味関心がない相手に強制的にやらせるのは、尊厳を傷つける行為ではないのかな?と。

強制労働と強制宿題は何が違うの?は結構説明が難しい。


◆あまり出ていない「児童労働ではないか?」という論点。

法律の妥当性はともかく、子どもの人権の観点から、中学卒業までは労働はできないことになっている。

本人がやりたいと言ったら、何でもOKなのか?が成立するなら、大人相手でも正常に判断ができない状況に追い込んで、拷問でもパワハラでも尊厳を破壊すればいくらでもOKさせることができる。軍事力の一環でCIAではそういう研究がされているわけで。そういう世の中は、力の強い人が弱い人にいくらでもやらせることができる。

原状、選挙権がない未成年というラインは、大人と同等の判断力に満たないことが根拠になっていて、本人がOKと言っているからと言って、子どもを使って広告収入を得ることが妥当なのか?はなかなか説明が難しい。

みんな、どんなことを考えているんだろう?


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