おむさん
愛には、愛で。
精神が混乱している時は、身体からの入力が救いとなるが、精神が自由な時、身体からの入力は重石となる。
悟りの瞬間は、幽体離脱に近いのだろうか。肉体から魂が離れるような感覚なのだろうか。
生命が有限で、肉体が亡くなれは全てが無になると思うと焦りも生まれるが、 魂は肉体を離れても成長し生き続けると捉えれは、のんびり生きていける。
琉球の歴史、沖縄戦の歴史、沖縄の戦後史の学習は学校には期待できない。では、どうするか。 親が自ら歴史を学び、子供に伝えなければならない。
地球のアセンションに伴い、ツインレイと呼ばれる存在に出会う人も増えていると思うけれど、原因不明の体調不良や強烈な眠気に襲われる事がある。
自分自身のネガティブな感情は、 排除するのではなく、 受け入れ、愛すること。
100年かけて建造される高層ビルはない。 樹木は100年かけて大木となる。 身の回りにある樹木は そのように守られて成長してきた。
あらゆる執着を手放す事。 生きることへの執着 お金への執着 性への執着 執着を手放す事への執着
地球が波動上昇して、5次元に移行すれば、この世から戦争は無くなるのか?
武道家は戦わない。 無益な争いごとに巻き込まれないために、危機を察知する感覚を磨く。 日々の修行は、そのためにある。
身体に意識を向ける事をなくす。
楽器演奏もスポーツも、 上達の極意は無駄な力を抜く事。 これは生き方や考え方にもあてはまる。
苦しみを通して学びがあり 学びの後には、魂の成長がある。 魂の成長を通して 苦しみの意味を知る。 喜怒哀楽には全て学びがあり、 苦しみは、喜びの源と知る。
お肉を食べたり、野菜を食べたり、いずれにしても、自分以外の命を頂く事で、我々の身体は作られている。そう考えると、私達の身体の中には、たくさんの命が宿っていると思う。 私達の身体は、個人的なものではなく、たくさんの命と共にある。
人は、自分自身の経験や知識などのフィルターを通してしか他人を見る事ができない。他人を見る時、実際に見えているものは、自分自身の姿に他ならない。
地球自身がひとつの生命体だとすれば、この世の全てに命が宿っている。 有機物、無機物という分類は意味がない。故に、死は存在しない。 カタチを変えて生まれ変わるだけ。