人生に虚しさを感じる理由(楽しみ≠喜び)
「楽しみ」と「喜び」は違う。
こんなことを言うと、首をかしげる人もいるかもしれません。
ましてや
人生に虚しさを感じるのは、「楽しみ」と「喜び」の違いに気付いたときだ
なんて聞くと、首をかしげすぎて椅子からずり落ちる人もいるでしょう。
しかし、これは歴然たる事実です。
「楽しみ」と「喜び」は違います。
もっとも、言葉遊びが本題ではありませんので、早速、持論を述べさせていただきます。
僕の言う「楽しみ」とは、「簡単に手に入る快楽」のことです。
人間、生きていれば、誰しもが当然、不平不満は出てきます。
そこで、それを解消するために酒を飲み、カラオケで大声で叫ぶ。
この行為自体はまったく問題はないのですが、こうした刹那的かつ低いレベルの行為で不満を解消しようとしたり、欲求を満たそうとするときに感じる感情を僕は「楽しみ」と定義しています。
もちろん、生きていく上で「楽しみ」は必要です。
いえ、むしろ、毎日が楽しいに越したことはありませんし、僕だってそんな人生を送りたいです。
しかし、「楽しみ」を得るためには格段の努力は必要ありません。
たいていの「楽しみ」は金と引き換えに簡単に手に入ります。
だからこそ、「楽しみ」から得られる幸福感は、小さくて継続性がないのです。
「月曜日の朝は朝食を腹一杯食べたなあ」と金曜日になっても幸せに浸っている人はいません。
「上司の悪口を言いながら飲んだあの日の酒は美味かったなあ」と一年後も幸せに浸っているようなら、ちょっと重ための病院で診察を受けたほうがいいかもしれません(笑)。
繰り返します。
これが、「楽しみ」の正体です。
そして、そこには感動は伴っていません。
そこそこ、毎日が楽しいのに人生に満足できない。
それは、「楽しみ」で人生の不満を解消しようとしているからだと僕は考えます。
「昇進したって苦労が増えるだけだ」と言いながらも、実は、昇進した同僚が羨ましい。
それならば、自分も努力するしかありません。
「独立して起業するなんて危ない橋は渡りたくない」と言いながらも、起業した友人のことばかり考えてしまう。
それならば、自分も恐怖を克服し、勇気をもって行動するしかありません。
そして、努力や行動によって欲求が満たされたときに得ることができる感情は、「楽しみ」とは明白に違います。
それが「喜び」なのではないでしょうか。
人間誰しも、感動した経験を持っているはずです。
生まれて初めて自転車に乗れたとき。
テストで高得点を取ったとき。
部活動の試合で勝ったとき。
なぜ、こうした体験をすると人間は感動するのか。
それは、成功を掴むために努力・行動しているからです。
感動は、努力・行動した者のみに与えられる最高のご褒美です。
そして、繰り返しになりますが、感動しているときに味わうことのできる感情の正体が「喜び」だと僕は考えます。
「喜び」は、「楽しみ」よりもずっと強く、また継続性があります。
実際、今挙げた自転車やテスト、部活動の試合などの体験を思い出して、何十年も経過した現在でも感動が蘇る人もいるでしょう。
こう考えれば、人生において「虚しさ」が生まれるのは、「楽しみ」と「喜び」の違いに気付いたときであり、人生を悔いるのは、「楽しみ」ばかりを追いかけていたことを自覚した瞬間なのではないでしょうか。
僕も聖人君子ではありませんので「楽しみ」は大好きです。
お酒も飲めないのに、女性が接待してくれる店(ぶっちゃけ、キャバクラ)に友だちと足を運ぶこともあります。
しかし、僕はそれ以上に「喜び」に飢えています。
もはや「喜び」中毒と言ってもいいでしょう。
僕の『エブリ リトル シング』が2008年に舞台化されたとき、関係者全員の顔合わせがありました。
絵が描ければいいのですが、長机を長方形に並べ、僕の机には、僕とプロデューサーと演出家の3人が座りました。
しかも、目上の二人を差し置いて、僕の席が真ん中です。
そして、正面には、中央に主役の井上和香さんが座り、彼女を挟むように準主役級のコント赤信号の小宮孝泰さんなどが座り、左右の長机にはその他の出演者が座っていました。
和香さんの背後のスペースでは、数十名の関係者がこちらを向いて椅子に座っていました。
最初、自分がどこに座っていいかわからなかった僕は、座席は自由なのかと思い、面識のあった和香さんの隣に座ろうと思いましたが、すでに埋まっていました。
そして、当時、グラビアアイドルとしては人気No.1だった川村ゆきえちゃん(以下、「ゆっきー」)の隣に行ったら、『エブリ リトル シング』を差し出したゆっきーに言われました。
「先生。サイン、いただけますか」
それまで、地獄オブ地獄を見てきた僕にとっては、天にも昇るような一言でした。
そして、サインをしているときにプロデューサーに「大村先生の席はこちらですよ」と促され、「マジ? 俺、特等席?」と内心で驚きました。
そんな経緯のあと、まずはプロデューサーからの挨拶がありました。
「チケットの前売り分は即日で完売しました」
この報告を聞いたときの和香ちゃんの嬉しそうな顔は一生忘れません。主役としてとんでもない重圧と戦っていたんでしょうね。
そして、場が一気に盛り上がったところで僕の挨拶となったのですが、そもそも挨拶をするなんて聞いてもいませんでしたし、「まあ、社交辞令的な無難なことを言っておけばいいかな」と思ったときに、満面の笑顔のゆっきーと目が合いました。
そうしたら、僕の意志など関係なく言葉が発せられました。
「先ほど、テレビや雑誌でしか見たことのない川村ゆきえさんとお話をしながら思いました。現実が夢を超えたときにどう振る舞うべきか、親も先生も教えてくれませんでした。ですから、今の気持ちを言葉にするトレーニングもせずに、今、ご挨拶をしています」
さすがに、約100名もいる中で泣きませんでしたが、心の中では泣いていました。
誤解しないでいただきたいのですが、僕は再び、そうした華やかな経験をしたいと言っているわけではありません。
しかし、努力・行動の結果掴んだ「喜び」は、「楽しみ」とは明らかに異質なものです。
本当に尊いです。
実際に、今でもあのときの感情を昨日のことのように思い出すことができます。
ちなみに、昨夜の夕ご飯は忘れました(笑)。
この先の人生、あと何回喜べるかわかりません。
しかし、目の前の目標を一つひとつクリアしていきながら、また「喜びたい」と、師走が近づく中で心を新たにしています。
【マルチナ、永遠のAI。】
https://note.mu/omura0313/n/na0a483687889
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