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「時をかけるゆとり」

中学生の頃、本を読むことが好きだった。

耳をすませばの再放送を見て影響を受けた私は、まだ図書カードの文化が残っている学校の図書室へ行っては本を借り、家の押し入れにライトをつけた簡易秘密基地で読むのが好きだった。天沢聖司にいつか会える日を楽しみに、読書にハマっていったのだった。

夏休みに市の図書館へ行ってみようと思い立ち、有名な作家さんの本を何冊か借りて読んでみた。友達からも流行っている携帯小説の本があるからと借りて楽しみに秘密基地へ帰った。

しかしその本たちは私にはまだ時期尚早だった。見事にどの本も性暴力の描写がきつかった。読むのを途中でやめればよかったのだが、背伸びして読んでいる自分がかっこいいと思っていて、その後ちゃんとトラウマになった。アホだった。

そこからみるみる本から離れていった。森見登美彦先生の本を少し読むくらいだった。地元に「電気ブランあります」とチラシが貼られたバーをみつけて、お酒が飲めるようになったら行きたいなと思うくらいしか本との接点が無くなっていった。

10年くらい経ち東京の隅で暮らしていた私は、体調の悪い祖母に会いに実家に帰省するために電車に長い時間乗ることが多くなった。片道2時間の旅で、携帯電話の電池が切れないようにどう暇を潰すか考えたが、私のおんぼろの携帯では力不足だった。電波の届かないトンネルに入っている間は、あきらめて携帯の電源を切って窓に映る自分を見ていた。

何回か繰り返している間に、実家に帰る前に本屋さんによって本でも読んでみようという気持ちになった。全然知らない作家さんだったけど、表紙の学生達に惹かれてなんとなく「時をかけるゆとり」というエッセイ本を買っていつものように電車に乗り込んだ。

そこからが大変だった。マスクもしてない時代に笑いを堪えて電車でこの本を読むのは本当に難しかった。レディ・ガガ並みのポーカーフェイスを保とうにも、朝井リョウさんの体験談は想像をはるかに超えて笑わせてきた。こんなに読書は楽しいものかと、時をかけて中学生時代の私をトラウマから救いにきてくれた。

そこから、何冊か面白そうな本を買ってみた。「大泉エッセイ」、「アイネクライネナハトムジーク」はどちらも素敵な本で、さらに読書の世界に呼び戻してくれた。大泉エッセイを読みながら電車で泣かないようにするのもまた大変だった。

本を読まなかった時期を後悔しつつ、これから面白い本がまだまだたくさん見つかるといいな。


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