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子供を産むということは

最近、子どもの夢をよく見る。
夢の中で、大切に抱えた我が子をうっかり地面に落としてしまったことを、時折思い出しては胸が苦しくなる。
なぜ、子どもの夢ばかり見るのだろう。その答えにはなっていないけれど、「子どもを産むって、どういうことだろう」というテーマで過去にあげた文章を、リメイクして載せ直すことにした。


子どもを産むってどういうことだろう。


「将来、子どもが欲しいですか?」という質問に、今まで私は「赤ちゃんは可愛いから欲しいなあ」くらいしか考えていなかった。
けれど考えれば考えるほど、子どもを産むということは恐ろしいということに気づいた。


子どもを産むということは。

果てしなく長い人生を歩ませることを、その子に決定づけること。

産まれてこなければよかったと、いつか後悔させること。

その子は、何かの間違いで大きな過ちを犯す可能性を持っていること。

命をひとつ増やすということは、こんなにも恐ろしいことなのだ。
自分のことだけでも精いっぱいで不完全な私が、子どもが泣きながら眠る夜に支えになれるほどの力を持っているのかと、思い悩んでしまう。


しかし、子どもを産むということは。

私が生きた証を、魂を分けるという形で残せるということ。

私が見ることのできない世界を、代わりに見てもらうということ。

私に限りなく近い他人と、対話をするということ。


子どもを産むということは、100%、親のエゴなのだ。

けれど、子どもを産むことが悪いことだとは思わない。

どんなに親のエゴでも恐ろしくても、子どもを産むということは、かけがえのないことだ。ひとつの命にかかる果てしなく長い時間を、人々は愛情と呼ぶ。


まだ、自分が子どもを育てるかどうかは分からないけれど。

私がいつか親になるときは、子どもを育てることが親のエゴであることを自覚しつつも、見過ごしてしまうような喜怒哀楽が世界にはたくさん転がっていることを、手を握りひとつひとつに足を止めながら、教えていけたらいい。
完璧な人間はいないのだから、私は教え方を間違う時もあるかもしれない。けれどどんなに子どもが辛い時も、お母さんは味方であるということを頭の片隅で思い出してもらえるように、一緒に過ごしていけたらいい。

私がそうしてもらったように。

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