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どうしようもない「自分という乗り物」を乗りこなしていく

この投稿を見て自分も似たようなエントリーを書こうと思って一度消したのだが、読みたいと言ってくれたので書いてみようと思う。

でも似たようなエントリーというか自分の性質がこんなんだ、と整理したうえで折り合いをつけていこうね、と言い聞かせるためのエントリーかもしれない。

私のどうしようもない性質

ここでいう「どうしようもない」という表現は自分自身が「お前まじでだめだなぁ」というニュアンスと、「変えられない」というニュアンスを含んでいる

私という人間の一番厄介な性質は、何をするにも根源的に脳の容量満杯までワーキングメモリーを消費してしまうこととだ。何か頭の中が埋まっていないと脳が不安だとアラートを出してくる。「何か考える」というリソースがまるで低スペックPCのGoogle Chromeのように使えるだけのメモリを消費している。マグロのように常に泳いでいないことには生きられない。

この性質は、複雑な思考や動作を実現できる代わりに、いつもメモリが上限値近いので急な割り込みが発生したりするのに極端に弱い。割り込みの作業を優先すると本来やる予定だったタスクを忘れてしまうし、本来やることを優先すると割り込みのメッセージや用件があっというまに十数件という状況になってしまう。

また、短期的な報酬サイクルに強く影響を受ける。いろんなことに興味が目移りしがちだったり、PVP系のゲームへ深くはまり込んでしまう。仕事に於いては短期サイクルの処理が得意な一方で、長期的な計画を実行するということが極端に難しい。ちょっとした刺激に敏感ですぐに飛びついてしまうので片付けや動物のお世話のような日々のルーチンワークも苦手である。

結果として生きづらい

すぐに取りこぼす

その結果メモリ溢れに起因する取りこぼしが多いので基本的にミスが多くよくメッセージの返答やタスクをし忘れて期待値コントロールに失敗している。最終的に帳尻を合わせる能力は身についたがこうやって逆にいつもミスを繰り返して帳尻合わせに動いている自分はどうやってもあまり好きになれない。

休みも休まらない

休みにしても「何かタスクを忘れているのでは」という不安から気持ちが休まらないことも多く、そもそもサボりがちな性分で休んでいる場合か、などと囁いてくる第二の自分の声を話半分で聞きながら、息苦しい息苦しいとわざわざ自分を苦しめながら毎日を生きているように思う。

ストイックでもないし勤勉でもない

大谷翔平やそこらの才能を持った人たちのようなストイックな勤勉さを持ち合わせていない。タスクに追われていないと「あれ、何かやらないといけないんじゃないっけ」思考がメモリを圧迫して結果としてなんにも集中できず腑抜けたようになっている。いざそこを解放できたとて「そんなに息が詰まってたのだからちょっと休憩」といってダラダラしている。

極められず諦められない

いろんなことに注意と関心が目移りしてしまうため、基本的に「その道を極める」といったことに向いていない。極められない割には諦めも悪いのでちょっとかじっては他のことをやり、また別のことが空きたら元のことに興味が移ってまた戻り・・というように螺旋を描くようなスキルツリーを構築しているように思う。器用貧乏も極めれば、と思ってはいるがどれもどうしようもなく中途半端な自分にときどきうんざりすることもある。その割に不釣り合いな大きな課題に挑みがち。

基本的にそうやって「だめだ」と思っているので人間不信

そんなわけで一部のタスクでは頭ひとつ抜けた結果を出すことをできる一方で、「普通の人がわりとできること」がうまくできない。結果的に「偉そうに言ってる割にミスも多いしたいしたことないな」と自分自身も思っているので、「もしかしてこの人にはあまり快く思われてないかもしれない」という考えがつきまとってしまい、踏み込んだ人間関係を構築することが難しい。できたとてとても時間がかかる。

総じてネガティブである

総じて、自分がかかわる状況にたいしてネガティブである。

問題だらけの乗り物を乗りこなす

まぁこんな自分であるが、折り合いをつけていかなければならない。願ったところでそのようにポジティブにも勤勉にもなれないのだ。だとしたらそうした「自分という不具合だらけの乗り物」をなんとか乗りこなし、最低でも「何者かにはなれなくとも」自身と手の届く人たちくらいの幸せをつかめるくらいにはなっていく必要はある。

持てる手札でできることを考える

しかしながら当初の文脈でいうと、たぶん自分はまだ「何者かになる」ことを諦めていないように思う。眼の前の見えている社会の課題に対して「あ、ちゃんと俺は社会をほんのちょっとかもしれないが良くできたな」と思えるくらいまでもうちょっと頑張りたいと思っている。

だから今自分ができることは持てる手札でできることを考えることだ。その手札でできる限り自分の強い部分を発揮して、弱い部分は必要がないようにしたり、誰かに助けてもらったりできる環境をつくっていかないといけない。

一足飛びに考えない

一足飛びに成功を収めるのは「運と才能にとっても祝福されている」一部の人だと言える。逆に言えば自分がそうではない、と思ったのであれば一足飛びに考えることをやめ、一つ一つできることをちょっとずつでも積み上げていくことが大切だと最近は思っている。「こうありたい自分」に明日なることはできなくても、石を積み上げていくことでちょっとそういう自分に近づくことができるかもしれない。もしかしたらそれは社会の要請するスピードに足りないかもしれないけどね。そのときはそのときなのだ。

みんな乗り物はちょっとずつ違う

みんな乗り物はちょっとずつ違う。走るのが得意な乗り物、作業するのが得意な乗り物。色々あるのだ。そういう中で「ありたい自分」と「乗り物の性能」をよくよく考えて、そのちょうどいいところを探して歩いていくのが人生、のようにも思う。どうなるかはわからないが、もうしばらくこの調子で歩いてみようと思っている。



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