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もっと息をしてるだけでも褒めて!!

今、私は仕事に趣味にてんてこ舞いだ。
どれもデッドラインが似通ってて、自分がもう一人居ればとさえ思う。

忙しさが続いたちょっと先に自分の誕生日があるわけだけど、大概そこで緊張の糸が切れて子供のように駄々こねまくる。

遊びたい、食べたい、休みたい、人に構われたい、甘えたい、頑張った自分へのご褒美が欲しいと駄々をこねまくる。
挙句、ノンストップで働いたつけがドッと押し寄せて心身ともにダウンしていまう。

会社にこの忙しさを走り抜けた事を褒められたい。
そうしたら、あぁ頑張ってきてよかったって浄化されるだろうに。
たったそれだけでいいのに。

記事を書いていたら過去の親子関係を思い出した。
がんばったから褒められたいけど、褒めてはくれない。
失敗したところや粗を指摘して、親ならこんな感じにできますよ~って届かない大人クオリティの手本を見せて自信を喪失させてしまう。

はじめは認められようと頑張るけど、そのうち嫌になってどうでもよくなって。
そうするとダメだしをされ続けて、褒められたい意欲がなくなって面倒だからやらなくなるし、怒られる事に抵抗がなくなる。
親の存在意義を感じなくなって餌をくれる人という認識にまで落ちる。

大人になった今は、親だって人だし、悪意があってそういう対応をしていたわけではない...と思っている。
(ちなみに、今は親との関係で辛かった過去の話をお互いに明かして重荷から解放されてます)

こういう幼少期を過ごした人、大人になると
「褒められるの苦手なので、褒めなくていいです。」
なんて言っちゃったり。
「叱られる方が頑張れます。」
なんて言ったりして。(もちろん、本当にそういう人もいる。)

本気で本人はそう思って言っているけど、褒められた時の反応に困ったり、自分がどうなってしまうかわからなかったりと、褒められたことで感じるプレッシャーに耐えられなくて言っている気がする。少なくとも私はそう。

褒められてうれしい、けど次褒めてもらえるかわからない…
褒められようと努力してキツく叱られるぐらいなら努力するのやめよう…
みたいな思考になる。これって「褒め」以外にも該当する。

なんなら人に褒められても、褒めてくれた人に不信感さえ抱いて褒めを受け入れられない。
「こんなこと褒めるなんて裏がある。」「口だけ。」
こんな風に思うと、褒められても強めの自己否定で喜びを打ち消してしまう。
悪循環オブ悪循環。こうして、自分の自信を自らで無くしていく。

10年前、私はまさにこの悪循環の真っただ中。
なんならアリ地獄の底にいて、母親との関係は最悪だった。

救ってくれたのは、大学時代の友人たちだ。
天真爛漫に何をしても褒めてくれた。
どんなに私がそれを拒否しても褒め続けてくれた。
私が自分を褒められる権利があると時間をかけて本気で説得された。
自己犠牲の無意味さなんかも教わった。
(美徳としてあっていいけど、やりすぎて自己破滅するなよという話)

そんな今、褒めを素直に欲せるようになって、以前よりはポジティブに生きれるようになった。
もともと怒られる事に抵抗がなかったが、褒められる抵抗もなくなり、物事を素直に受け入れるようになった。
(副作用として、人を疑わなくなってしまった笑)

そして思い出す、恋人くん。
褒められ慣れていない人で、褒めても素直に喜ばない。
天邪鬼だから期待値が上がるほど反比例したことするよと予防線を張られている。(結構、酷い事いうな。)
褒め褒め大作戦を始めてまだ2週間だから効果は薄いけど、何かが変わっている気はする。

私は4か5年かかって今の状態になれたことを考えると、彼も一筋縄ではいかないなと思っている。
私の場合は、「褒められ慣れ」「過去の嫌な記憶との決着」である程度収まったけど、解決方法は人それぞれなのかなーって。

褒めが怖い人って多い気がする。
もっと褒められていい人っていっぱいいるはずなのに。
毎日働いて経済回す人も、勉強をしてる人も、家を守ってる人も、子供の面倒を見てる人も、皆褒められていいと思う。

もっとみんなを褒めていいと思う。

褒めろ!!
目についたらとにかく何でもいいから褒めろ!!
そしたらきっと、みんながもっと生きやすくなるのになあ。

って、先日、信号待ち中に見知らぬおばあちゃんが私の服装を褒めてくれた時に思った。