経営者や起業家こそ真剣に考えるべき資産の積み上げ方
何年か前におばあちゃんが亡くなった
そのとき。お坊さんにお金を払って、死後の世界で使う名前をつけてもらった。戒名(法名)というらしい
戒名。はお坊さんに払う金額によって、名前の長さが変わり、またその名前が長ければ長いほど、死後の世界でいい地位につけるというものらしい
うちの家族はべつにそれをほんとに真剣に捉えてはいなかったものの、それなりの金額をお坊さんにお支払いしたのだろう。おばあちゃんの名前はそれなりに長かった記憶がある
死後の名前をお坊さんから買うシステム
名前がお支払いする金額次第で長くなるシステム
長い名前であれば死後の世界で地位が高くなるシステム
じぶんはもちろん口にはしなかったけど本音は。なんじゃそりゃ!!!。であったw
死後までも、お金を持ってるかどうかでスタートラインが異なる世界。そんなバカげた世界線がまじであるのかよー。という感想だw。あったらそれもう最悪だな。という感想だw
もしこのバカげたシステムをほんとに真剣に信じるのなら、この世で流行る市場をとらえ、その分野の曲線をとらえて起業し、ウケのいいマーケティングをしっかりと施し、顧客の心をとらえることで競争に打ち勝ち、お金を儲けて、稼いだお金を戒名代に全額ベットすれば、あなたは死後の世界でもまた「勝ち組」になれるはずだ👍がんばれ
日本の仏教の起源
信じるものは救われる。の起源はパウロという人物だ。紀元後(アノドミニ)57年に書かれたガラテヤ人への手紙。という書物に書かれてる。信じるだけで救われるないだろ!修行したり戒律を守ったりしないで救われるわけないだろ!という嘘の蔓延にたいし言い放たれた言葉
仏教の祖ブッダは、永遠や輪廻や阿彌陀佛や大日如来などの教えは一切といていない。親鸞の学んだ浄土真宗の教義は世尊布施論(せろんふせそん)にある。これは、漢文で書かれたトルコ(ガラテヤ)でのイエスの教えの一幕。マタイの福音書5章〜7章である。京都の西本願寺にある
ブッダの教えをひとことでいうと、神に近づくために欲をたって修行しよう。であるのにたいし、日本に入ってきた大乗仏教は「信じるものは救われる」である。なんとなく、真逆であるw
世尊(イエスのこと)を信じるものは、救われる。である
親鸞の学んだ仏教は、景教。ネストリウス派とよばるトルコ由来のキリスト教である
また別のころ、真言宗の弘法大師(空海)は唐にて密教を学んだ。密教の教えを持ち帰って開いたのが真言宗
ところでどうして、"密"教なのか。。。
インドは、ヒンズー教の国というイメージがあるけれど、紀元後1世紀はキリスト教の一代ムーブメントが起きた。トマスというイエスの12弟子のひとりがインドにて死にものぐるいの布教活動を行ったからだ
トマスは12弟子で一番、疑い深い男であった。イエスが十字架刑に架けられたあと復活したというまわりの噂を信じることなく、自分の手をイエスの傷口に突っ込んでちゃんとイエス本人であるか確認するまでは絶対に信じない。と決めてた男だ
そんでちゃんとイエスがトマスの目の前に現れて手を突っ込んで、復活をもう疑いようのない現実だと分かっちゃったもんだから、「肉体の死が世の終わりではないというものすごい情報」を一人でも多くの人に伝えなくてはという多いで、広げまくったのだ
トマスの教え(ローマ密教)を鳩摩羅什がさらに東へと伝え、それを日本に持ちこんだのが真言宗である。高野山のコーヤは、ヘブライ語で神の声という意味。申命記に出てくる。吉野川のヨシュノは、ヘブライ語で神の救いという意味。詩篇に出てくる
神道同様に悪魔による混ぜ込みは多く受けているものの、日本に入ってきた仏教(大乗仏教)の根幹教義は
(神を)信じるものは救われる。というシンプルな「信仰」の大切さであった
今の日本人は、何を信じたらいいのかを忘れてしまってはいるものの、なんとなくは魂に残ってる
大乗仏教(世尊信仰)→信じるものは救われる
度会神道(機者信仰)→清め給え祓い給え
世尊はイエスキリストのことだ
機者は十字架のことだ
なんども言うけれど、日本人なら、聖書を読んだ方がいい。日本精神を支えてる(戦前まで支えてた)仏教や神道の源流にあるのが、イエス・キリストであり聖書であるからだ。日本人ならば、建国の理念を胸に、神に従って生きてみないか
浄土真宗の源流にある「世尊布施論」には、何が書かれているのか。。。
死後の名前をお坊さんから買うシステム
名前がお支払いする金額次第で長くなるシステム
長い名前であれば死後の世界で地位が高くなるシステム
について書かれているのだろうか。。。
マタイ6章
んまぁ結論から言うと、書かれていないw。どんなことが書かれているのだろうか
これが。西本願寺(浄土真宗)に今現存している世尊布施論の中身である。内容をざっくりと要約すると
◯人はうわべを見るけれど、神はその心を見てる。だから偽善で善行を行うなよな
◯人はうわべを見るけれど、神はその心をみてる。だからお経をひたすら唱えるとかやめろよな
◯祈り方(神との関わり方)がわからないときは、こうやって祈ってみてはどうですか
◯あなたが人の過ちを咎めずにゆるすとき、神様もあなたをゆるしてくれます
◯地上の宝は朽ちるので、天に宝を積んだほうがいい
こんな感じの内容だ
救われるのにお金がいります。とも書かれていないし、死後の地位を買うのにお金がいります。とも書かれていないw
むしろ、お金にとらわれながら生きるなと書いてある。そんでこの続きには、神につかえるのとお金につかえるのは、同時にはできないよ。と書かれてある。別の箇所には、お金を愛することが、悪の根っことまで書いてあるw
あなたの資産は、死後に残るものですか?
お金を持っている人は
◯努力や積み重ねができる人
◯時流に合わせて即行動できる人
◯環境と肉体と心が用意されてた人
である
巨万の富を持っている人は、それに加えて
◯競争を勝ち抜くしたたかさを持った人
◯善行のフリした悪事を働ける人
◯この世の神である悪魔に魂を売った人
である
ホリエモンさんは言った。この世の幸せはだいたいがお金で買える。と
これはほぼ事実だろう。でもたったひとつだけ買えないものがある。それが「神からのゆるし」である
じぶんは聖書に出会うまえは、自己実現が人生の土台だと思っていたので、自分のやりたいことを仕事にした。自分の得たい経験や知識をベースに仕事をした。自分なりにいいと思った理念でもって起業し、働いた
お金はあればあるに越したことはないと思っていた。資産がお金があればあるほど、美味しいものが食べられるし、奥さんと休日に旅行にいったりもできる。子どもにより良い教育をしてあげることもできるし、いい大学にいかせてあげることができれば選択肢がひろがる。お金は稼いだほうがいい、多く貯めた方がいい。なんなら不労所得やキャッシュフローは多いにこしたことはない。という考え方をもっていた
というか。こんなのオレだけじゃないはずだw。みんなもってる。給料は20万円よりも50万円の方がいいし、貯金は100万よりも1000万円の方がいい。それが、今の世の”あたりまえ”である
しっかりと稼いで、世の中をより良くするビジネスで社会に貢献しつつ、休日は奥さんと美味しいものを食べ、連休は子どもも連れて温泉旅行やキャンプに行き、子どもにはやりたいことをやらせてあげるよう習い事や塾でもって協力をしてあげること。これが「愛」だと思って生きてきた
この生き方は、大半の今の世の人が歩む生き方だ
でも、この生き方の土台にあるのは
◯肉体があること=命があること
◯肉体がなくなること=死ぬということ
である
みんな。死んだら終わりだと思ってるから、なるべく命のある間の人生を楽しんで生きよう。健康な体である人生の時間を充実させよう。といった生き方を選んでしまう
肉体が滅んだら終わり。。。
これが悪魔がぜっっっっっったいにバレてほしくないウソなのだ
聖書が神が書いた書物であるかどうかを信じるかどうかを強制することなどできないが、日本の國體である精神性の源流に、聖書があることは事実なのだ。それならば、自分がこの国にこのとち狂った時代に用意され、分かるよな分からないよなこのnoteに導かれている意味を真剣に考えるのなら
聖書を知るべきだ
聖書には「肉体が死んだら終わり。。。。じゃないんだぞ!」と書いてある
靖国神社。。。の語源は「安らかなる御国」である。特攻隊の合言葉は「靖国で会おう」であった。神から預かっている命を粗末にすることは大変失礼な行為ではあるが、日本の精神性の軸にあったのは、「肉体の死が終わりではない」という神道の言い伝え。にあった
聖書には、朽ちてしまう資産を積み上げる人生はむなしい。と書いてある
そんで、肉体が死んだ後にある世界や出来事について、想像以上にリアルに書かれているのだ
肉体の死をおそれる人は多い。それは死後がどういうふうになってるのか、まるっきり知らないからだ。死後がどういうふうになってるのか知っていれば、死がこわいものではなくなる
そして、死後の世界が存在していることを知れば、生きてる間を楽しもうという刹那的な人生や、なるべくお金を稼いでこの世の幸せをかき集め堪能しようという、一見計画的なようでいて出口のみえてない無計画な人生を、あなたは選ばない
紀元後(Anno Domini)1世紀にトマスが必死で伝えたように、じぶんも必死で伝えたい
死後には世界がある
もう一度いいたい。あなたの蓄えてる資産やあなたの積んでいる経験や知識。それらはほんとに死後の世界に持ち越せるものですか?
天に宝を積む方法
経営者は起業家は頭のいい、いわゆるデキる人が多いんじゃないだろか
それならば、あなたを創った創造主が「朽ちてしまう宝を積むことに時間を費やすのやめて、朽ちない本物の宝を積み上げたほうがいい」と言っているのだから、そういう可能性についてちゃんと考えてみることは、賢明な判断なんじゃないだろか
疑い深いあなたのために、2000年前に有り余る根拠と実存をもって伝えにきてくれたイエス・キリスト(神本人であり神の子でもある)について調べた方がいい
じぶんが生まれてきた意味について目的について、知らないとなんにもはじまらないだろう
死後に持ち越せる資産
死後に持ち越せない資産
じぶんは、後者の方がいい。前者を積み上げる人生はむなしいし、上の方には悪の誘惑が待ち構えていることを知っている
天に宝を積む方法。それは、神の計画に協力することだ。
それにたいし、ちゃんと給料をお支払いします。by神。と書いてある
想像以上にシンプルだなw
あと神の財宝(とんでもない資産らしいよw)はぜんぶ長男であるイエス・キリストに引き継ぐんで人は妻としてイエス・キリストに従ってくださいby父ちゃん。と書いてある。ほんとにシンプルだw
シンプルなのだけど、ほとんどの人がまずこれを信じないw
人は2種類に分けられる
①自分の計画を生きる人
②創造主の計画を生きる人
である
自分の計画を生きる人は、この世の朽ちる資産を蓄える。創造主の計画を生きる人は、千年王国に朽ちない資産を蓄える
あなたはどちらですかね?w
あなたの人生を、あなたそのものを、つくったのが自分ではなく創造主であった場合、あなたは何かしらの役割や目的でもって創られた
もし。あなたが経営者であった場合
①まったく言うこと聞かない従業員
②ちゃんと言ったことをやってくれる従業員
どっちに会社にいてほしいだろかw
あなたが株式会社地球の従業員であり、会長が創造主。社長がイエスという人であった場合、あなたは会長に名前を覚えてもらっているだろうか。あるいは社長が重宝したくなる社員だろうか
今の地球は、悪魔が支配者である。紀元前(ビフォークライシス)3600年頃に株式会社地球の取締役部長をやっていたエリート社員であるルシファーが会社をやめてあらたに株式会社バビロニアを作ったのだ
株式会社バビロニアの経営理念は「自分を信じよう」だ
ビジョンは「自分を信じて失敗する人類」だw
でもそれをそろそろやめて、会長の長男であるイエスが社長になるときがもうすぐ&突然くるよと書いてある。イエスが社長になる世界は、とりあえず1000年くらいはあります。と書いてある
じぶんは今の地球の支配者が、ぜんぜん好きになれない。嘘ばかりつくし、何かと強制してくるし、自分のことしか考えていない。社員の幸せなんてこれっぽっちも考えていない。だから自分は新社長による新しい地球の経営スタートを心から願ってる
じぶんは神の従業員としてやっていく気まんなんなのだが、ほんとにほんとに多く人が、悪魔についていってしまう
それは神が、うわべではなく心をみるからだ
あなたは、やってしまったこと。思ってしまったこと。想像してしまったこと。が全世界にさらけ出されてしまう世界で、生きていけるほど、清い高潔な純粋な存在だと、自分で言いきれるだろうか
自分の心は、人様に見せれるほどキレイではない。でも神様にはそれがまったく隠せないということなのだ。神とともに暮らす次の世界は、今のあなたのままではとてつもなく暮らしにくい世界なのだw
生まれ変わりでもしない限り、神とともに暮らし世界など人にはムリなのだw。キリストを信じるということは、自分が罪と汚れでいっぱいの人間であることをみとめ、それでもなお神が「一緒に暮らそうよ」と言ってくれていることを、信じるということだ
悪魔の語る「ゆるし」は、じぶんでじぶんをゆるそうよ。相手もゆるそうよ。である
神は、自分が罪で悪で汚れてることを真摯に受け止めて、それが十字架により「ゆるされている」ことを信じてね。である
この先支配者は、メディアをとおして不安や恐怖をバラまいてくる
支配者に屈しない唯一の方法は、肉体的な死が終わりではないという史実を知ることだ
そしてそれに気づいたら、神の語る愛だけが、死後に持ち越せる資産だと知ることだ
さいごにもう一度だけききたい
あなたの人生やあなた本人をつくったのはあなたですか?
自分の計画を生きる人生はほんとに楽しいですか?正解ですか?
あなたの積んでいる資産は朽ちる資産ですか?朽ちない資産ですか?
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