「いる」と「する」が同居してるってのが大事なのかもしれないとおもった話
「べてるの家」ってご存知ですかね?それについてかいてみます。いつもの乱文。
①いろいろ個別対応化、してくんだろうな
北海道に「べてるの家」っていう当事者研究ってなのに取り組んでいる人たちがいる。それにちょっと興味もった理由は、なんとなく時代にあってるよなとおもったから。
当事者研究ってのは、障害ひとつとっても「人それぞれだよね」っていう考え方のもと、各々が障害に向き合う。「あーわたしこういう反応しちゃうんです」「えっわたしは逆、こんなはんおうしちゃうんです」という場。「それぞれの答え作り」に挑戦してる。そんかノリの「べてるの家」。ぜんぜん間違ってたらすみませんです。
こういうノリは、今後、政治とかマーケティングとかにも、転用できるようになっていくのだろうな。
いままでの雰囲気でいうと、政治とか病気とかマーケティングとか全部、なんだかひとくくりにネーミングして、なんだかひとくくりに解決方法えらいヒトが考えて、なんだかひとくくりにお金を投じる。。。みたいなのが「社会つくり」だと、思わされているというか、それが社会だよねっていう風潮あった。というか今もあるけどもね
3Dプリンタで、その足にピタリとハマる義足をその場で1時間くらいでつくれるようになっていくように、ちゃーんと話をして「その場にピタリとハマる」何かをつくるスキルとか、ギルドみたいなもんが、大事になっていくんだろうなと
②ちゃーんと話をして「その場にピタリとハマる」何かをつくるスキルは、どうやったらつくのだろうかなー
これからはコミュニティの時代だろうから、ちゃーんと話をして「その場にピタリとハマる」何かをつくるコミュニティは、どうやったらつくれのだろうかなー。と言い換えれるかもしれない、、
北海道にある「べてるのいえ」には行ったことない、でもこれから個別対応化ってたぶん大事になっていくよなーとおもって、これは研究しなきゃとおもって、ちょっと見てみたくって、一度世田谷とかで定期開催してるのに、顔をだしてみたことがあるんだけど、、、おもったことは、
月一回の公民館で集まってやる「べてるの家」と、共同生活&仕事してて住みながら毎日やる「本家べてるの家」は、役割が大いに違うのだろうなと思ったのだ。
はっきり言っちゃうと、「やっぱり月に一回本音を話せるような場をつくる」という程度では、現実を変えるパワーは持ち合わせていないというか「癒やし」はあっても「変化」にはいたらないのかもと、思ってしまったのだよね。
回復魔法と攻撃魔法、交互にかけているような強みが、本家のべてるの家にはあるのだろうなと、おもったのだ。
よく心理療法の本とかみると、「過去掘り起こし型」と「今の習慣変える型」の2つにわかれてる気がする。
「いる」「いてもいい」「ただいるだけ」「いってもいい」みたいを提供してるのが、「いるコミュニティ」は、みんなで過去語り合う感じの「過去掘り起こし型」だとおもう
行ったことはないんだけど、「本家べてるの家」は、たぶん共同生活とか仕事を通じて、「今の習慣を変える型」を大いに孕んでるんだろうなと、推測した。なんとなくこっちは「するコミュニティ」をはらんでるというか、
「いる」と「する」が同時進行してるってことが、同居してるってことが、すごくすごく大事なことなんじゃないだろうかなと、推測してみた。
ちゃーんと話をして「その場にピタリとハマる」何かをつくるコミュニティは、どうやったらつくのだろうかなー。の答えはでていない。でていないのだけれども、「いる」だけじゃなくて「する」を備えてることが、大事なんじゃないかとおもたのだ。
「癒やし」と「行動」の同居が成り立つのなら、「いる」と「する」の同居が成り立つのなら、そこに「変化」生まれやすいのかも、しれないな。。。「挑戦」しやすいのかもしれないな。
以上。
3Dプリンタで1時間でつくりだす義足屋のようであるために、回復魔法「イル」と攻撃魔法「スル」を同時発動してるようなコミュニティをつくってみるという、めっちゃくちゃ伝わりにくい内容になってしまったよ、、、
なんだかよくわからない内容なのは承知のうえで告知させてください。いま、クラウドファンディングに挑戦中なのです。こっちはレディーフォーの担当者さんがすげぇ分かりやすく書き直してくれてる文章だから、ちょっと読んでもらって共感してもらえたらSNSシェアしてもらえるだけでもありがたいですm(_ _)m
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