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家訓もコンセプトもお店のオープンもシェアハウスも一旦ぜんぶ辞める話

これは、ほとんどの人に伝わらない。理解してもらえない。なんなら「立野さん精神的に病んでるのかな?大丈夫かな?」と各所に心配をかけかけない、そういったnoteに見えるかもしれない


病んでいない。一ミリも病んでいないw


一ミリも病んでいないのだが、理解されない判断と選択だと思われることは分かっている


いったん。夫婦関係と子育てと神と向き合うこと以外のすべてを。ぜんぶやめる。という話


クラファンの応援金は、必ず返金しますm(_ _)m


やろうとしていたこと


【ミッション】
あたたかい居場所がふえる


【ビジョン】
直会(なおらい)〜ひとつ屋根の下でごはん〜


【家訓】
動機は愛
神と教会に一致する
高ぶるな誇るな
小さな約束も守る
不撓不屈


直会(なおらい)がテーマの、ひとつ屋根の下がコンセプトの、定食屋さんを田舎でやろうとしていたのだ


吾野という限界集落に若者の移住を増やして宿場町を再復興しようとしてたのだ


池袋と飯能の2拠点生活という新しいライフスタイルのシェアハウスで若者の生きやすさ、暮らしやすさを作ろうとしていたのだ


困っている高齢化集落を、「遠くの孫より近くの若者」という関係性をつくることで、人助けになることをしようとしてたのだ

支配者との戦いにそなえ、全体管理社会との戦いにそなえ、自給自足の環境づくりと食料の確保をやろうとしてたのだ


聖書をしっかりと勉強し、悪魔を恐れることなく、狂いゆくこの世に本物の希望を伝えれる、愛と正義と実行できる、勇気と覚悟の男として人生を全うしようとしていたのだ


狂いゆく世の中に本物の希望である福音を、子どもに正しい歴史認識からくる本物の自尊心を、支配者に屈せずに戦い続けるための霊的な武具を、ひとりでも多くの人に拡めようとしていたのだ


たまたま神に導かれ、たまたま世界の真実を知り、謙虚と忠実の心でもって、神の計画に生きようと、心に決めていたのだ


そういう思いから、自分のやるべきことを”自分で”決めてしまっていたのだ


自分の思いは、決して欲望や不安からくるものではない。神から来ているものだ。じぶんは間違ってなどいない。という思いで、”自分の”人生を過ごそうとしていたのだ


これが、土台から間違いであった


「えーなんとなく良さそうだし、よく理解できないところもいっぱいあるけど、やりたいことならやればいいじゃん。自分の人生だよ」と、クリスチャンでない人は思うかもしれない


なんならクリスチャンの人も「神の思いから計画からぜったいズレてないよ。ちゃんと神に応援されるよ。大丈夫だよ立野さん!間違ってないよ👍」と、思うのかもしれない


でもそれでも自分は、自分の考えが間違いであったと今は思っている


正確に言うと。自分の考えや思いが、合っているのか間違っているのか。ではないのだw


それは、合っていようと間違っていようと、大前提としてそれは”自分の”計画であり、神の計画ではないのだ


自分の計画に神を当てはめようとしているだけ
神の計画に自分を捧げようとは、していない


神の思いを計画を推し量れるほど、自分を含め人は、優れてなどいない


自分の計画は思いは、間違っていないと心の底で思っている人間を、神が神の計画に、預言や伝道に、使うことはない


人は神にとって大事な大事な存在なのに、万が一にでも(霊的に)死んだらイヤだ。と思ってくれている愛の存在が、神であるだからだ


神は、立野家の不信仰と肉の弱さを知っている。今の立野家を最前線には送らない


世界には、人間が誰一人逃れ得ることのできない。たったひとつの、世界で最初の、3000年以上繰り返されている、罪がある


それは自分は間違っていない。と思う心である


ひとはみな、自分は間違っていない。と、思っているのである


自分は間違っていない。という思いの上に経つ、神の計画などない。それは人の計画だ


じぶんは自分が間違っていない。と思う心を捨てる


じぶんの判断を選択を計画を、まず捨てる


そのために、良かれと思ってやろうとしてることぜんぶ、辞める


奥さんと子どもを捨てることはない


まず。各所を心配させないために。具体的には自分の親だとか奥さんのご両親だとかを心配させないために、これはしっかりと書いておく


じぶんが奥さんや子どもを捨てることはない


優先順位は


①神(創造主)
②奥さんと子ども
③教会
④隣人(すれ違う人すべて)
⑤オレ
だ👍


神が奥さんと子どもを捨てることはまずないので、オレは奥さんと子どもを捨てることはない


世の中の宗教の多くは、家族よりも教会を優先するようにやんわりと強制してくる類いのものが多い。それは、間違っている


神は最初からずっと調和の創り手であり、家族の不和など、一ミリも望んでいないからだ


そして神の目からみると、夫婦は肉体的にも霊的にも”ひとつ”である


悪魔は夫婦関係を飛び越えて地球やそれ以外の人とも一体である”ワンネス”を拡めているが、その目的は、夫婦関係、子育て環境、親子関係など、体や心や霊が整えられる関係性を土台を、ぶっ壊すのが目的だ


聖書を正確に読むと、それが全体を通して、神と人との「結婚」について書かれている書物だということが分かる。男と女の「結婚」は、神と人との結婚の型である


世の結婚はすべて、人が磨かれるための、神の計画だ
世の離婚はすべて、人の肉の欲からくる、人の計画だ


信仰とは


聖書には、預言者という役割の人が多く登場する


預言者とは、神の言葉を預かる者という意味だ。テレビに出てくるスピリチュアルなおじさんや駅前に座ってる新宿の母。みたいな類いとはまったく異なる


預言者が現れるタイミングは、世の中が悪や罪に満ちまくって、にっちもさっちもいかなくなったタイミングで、だいたい預言者が現れてる


神は、肩書を見ない
神は、国籍を見ない
神は、才能を見ない
神は、年収を見ない
神は、資産を見ない
神は、容姿を見ない
神は、理念を見ない
神は、経験を見ない
神は、情熱を見ない
神は、行動を見ない


神は、信仰を見る


神は、悪魔も使うし、不信仰者も計画に使う。でも、預言者(神の声を預かる者)や伝道者(福音を伝えひろめる者)といった神の計画の根幹に使うのは、もれなく信仰者だ


信仰というと、なんだかすごく宗教っぽい言葉にきこえるかもしれない。信仰とは、疑うこともなく強く信じている心のことだ


あなたは現在、空気を吸ってますか?w


あなたは自分の周りから、空気がなくならないことを、信仰している


あなたは現在、電気を使っていますか?w


あなたはコンセントに差せば、電気がくることを、信仰している


あなたは現在、太陽がありますか?w


あなたは寝て覚めれば、太陽が昇ることを、信仰している


ほとんどの人が、空気信仰や電気信仰や太陽信仰を持っている。でも、それらを創った存在を、いわゆる創造主を一秒も気にかけることなく一日を過ごす


自分がなんの役割で創られたのかを考えないで、一生を過ごす


はっ。とそれに気づいた人も、自分がこういう思いで神に創られたに違いない!という”自分の”思いで、”自分の”計画に、一生を費やす


聖書には、黙示録という終末の預言書がある


聖書が真理であることを、科学的にも歴史学的にも心理学的にも説明説得することはできるが、けっきょく信じない人は信じないし、信じる人は信じる


そんでもし、聖書が真理であった場合、世界の終わりはけっこう迫ってるw。もう、にっちもさっちもいかない世界が、ぶっちゃけ近い


マスクしてないと家から出られません
ワクチンを打たないと買い物できません
マイクロチックを入れないと飛行機のれません
従わない国とか町にヤバい蚊を撒きます
従わない人の家は見せしめに燃やします


みたいな世の中が、冗談じゃなく迫ってる


それらを打ち砕き迷える市民を開放する。政治的ヒーローや経済的ヒーローはちゃんと現れてくれるが、かれらの導く虹色に見える新世界は自由という皮を被った混沌だ


緊急感覚を持っている人は、いったいどのくらいいるのだろうな


なんとなく。世界に違和感を感じてる人は
なんとなく。ワクチンを打たない人は
なんとなく。田舎暮らしをする人は
なんとなく。スピから抜け出る人は
なんとなく。聖書にたどりつく人はいる


でも。信仰にたどり着く人は、ホントに少ないのだろう
人は自分をふくめ、自分を簡単に捨てれる生き物では、ないからだ


自分が間違っているという思いの先にいるのが
イエス・キリストだ


イエス・キリストは
にっちもさっちもいかない人類のために


◯生き方のお手本をしめしつつ
◯本物の希望を持参した
創造主、本人である


すべての人類の罪をゆるすために遣わされた
創造主の御子でもあるのだが


罪をゆるすためには、前提条件がある
それは、自分に罪があるということを認めていることだ


神はすべての人をゆるし救いたいのだが
自分に罪があるということを認めない人であふれてる


罪とはなにか


じぶんは子どものころにゲームボーイがやりたくてお店から電池を盗んだことがあるし、イジメをしてしまい友人を苦しめたこともある。クラファンでお金を集めて何もイベントをやっていないというのもある


こういった分かりやすい罪もあるのだが


霊的にいうと、悪魔に騙されてスピリチュアルを世に拡めていた。説明はすっ飛ばすけれど、じぶんは100人以上を、(霊的に)殺してる。これは肉体的に人を殺すことよりも、よっぽど罪が大きい


そして人類がアダム(最初の人)やエヴァ(最初の女)の時代からずっと抱えて逃れられないでいる罪


それが自分は間違っていないと思う心。である


このnoteは、誰宛のものというものでもないw。しいていうのなら、神宛ではあるが、神は自分の立野家の不信仰も肉の弱さも、もうとっくに知っている


池袋でも吾野でもなく、基本的に東京の仙川にいます。いつでもお気軽に遊びにきてくださいましm(_ _)m

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