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心の中の道化師。矜持と葛藤

冗談と真剣さのバランス

私は冗談を言うのが好きです。
周囲の人が笑ってくれると、自分も楽しい気持ちになります。
しかし、時には冗談と真実の間の微妙なバランスを保てず、人を困惑させてしまうこともあります。
私はいわゆる「すべりやすいタイプ」なのでしょう。

仕事においても、少々厳しい状況や困難があっても、反射的に軽口を叩いて「大したことない」と思い込もうとします。
しかし、自分の中でも許容できない問題が発生した場合には、絶望し後悔し、他者への期待を放棄することもあります。

他者への期待と自己責任

他者への期待をやめ、自分自身を責めながらも、自分の能力への淡い期待に執着することがあります。
これは決して「かっこいい」行動ではなく、褒められることでもありません。
根本的な問題解決を放棄しています。

心の防衛メカニズムとその影響

私は自らの立場や価値を低く見積もることで、心を守ろうとしていることを知っています。
これも決して「かっこいい」行動ではなく、心の弱さが表出したものです。
精神的なバランスが崩れた時、誤った判断を下すことがあります。
その経験から、心の防衛が最優先されることだと考えるようになりました。

恩を忘れることと過信の落とし穴

私はひとりで生きていくことはできません。
今の仕事を継続できているのも、先輩や仲間のおかげです。
感謝しきれない程の恩を受けて今生きています。

これまでいくつかの職業に就き、何度か転職し、起業しました。
節目ごとにお世話になった方々がいます。
しかし、その恩に報いることができていないばかりか、自分の力を過信してしまうことさえあります。
運が良かっただけの事柄でも自分の力だと勘違いしてしまったこともあります。
「自分の能力を信じる誇り」とは、実は過信の現れだと気づきました。

運と余裕

私は運が良いと感じます。
重要な局面では素晴らしい人々と出会うことができ、そのことに感謝しています。
そのため、前向きに行動できています。

人生において、圧倒的な力や能力が突然手に入ることはありません。
運を単なる運と知り、その運を掴める力を得ることを渇望しています。
私が求めているのは、経済的な貧しさ・不安や心の貧しさを脱し余裕を手に入れることです。

道化師としての矜持とプライドの微妙なバランス

自己評価やプライドは、生まれつき備わっていたり、生まれつき完成しているものではありません。
色鮮やかな衣装を身に纏い、笑顔で観客に向かう道化師のように、外見だけでは判断できない心の揺らぎを誰しも抱えています。
社会で活躍する人々の笑顔の裏には、その人にしかわからない深い感情や哀愁があります。

今だけは失敗するわけにはいかない

結局、何が言いたいのかというと、どのような立ち振る舞いをしようが、今だけは失敗できないタイミングにいるということです。
私の心の中身は社会から見れば何の意味もないことですが、私の行動にとっては一番大事なことです。
今、自分で文章にして今一度戒めにしたいと思いました。

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