嘘の日記(4/21など)

4月21日

 夢の中で夢を見るような日がある。(ないというのなら、あなたは幸運であるか、または眠りが深いのだろう)僕にとってほとんどの場合、そういう夢は悪夢であって、楽しいものではない。特に今朝の夢はひどかった。寝ても覚めても(実際はずっと夢の中なわけだが)身体は重くて上手く動かない。しまいには、なぜか美容師に頭を洗われる始末であった。なすすべもなく泡でいっぱいになる頭、動かない身体、耳に届くのはよくわからない言葉ばかりで、本当に疲れてしまった。寝たのに疲れるなんてことは、本末転倒もいいところだ。

 そうした悪夢から目を覚ました僕を待っていたのは真っ暗な部屋。遅くに眠りについたから夕方に目が覚めたのかと思ったが、それにしても暗い。それになんだか、いつもはぴかぴか光る空気清浄機やWi-Fiのルーターなんかも息をひそめている。僕は手元のスマートフォンを使い今の状況を確認しようとした。……暗い、スマホの画面まで暗い。バックライトのないゲーム機を思い出すような暗さだ。というかもはやこれは板なんじゃないかというほどに反応がない。このぽんこつめ、一体なぜこんなものを有難がっていたのだろうと思う。明かりも点かないただの板じゃないか……
 でも、僕はすぐに気が付くんだ。ただ、自分の目が見えないのだということに。

 そういうところで、僕はまた目を覚ます。眠るとき、朝日が眩しくて顔まで上げていた布団を蹴っ飛ばす。ああ、ひどい夢を見た。夢だからって、五感のうちの一つを失うのは恐ろしいことだった。夢で良かったなと思いながら、有難い板を確認する。時刻はまだ、七時を回っていないくらいだった。もうひと眠りくらいしてもいいかなと、睡魔が再び起き上がる。僕の思考は、取り戻したはずの明瞭さを手放し、ゆっくりと間延びしていく。あれ、そいえば僕が昨日眠りについたのは朝日が昇ってからではなかったか。だとしたら一日も眠っていたのだろうか。いや、日付だって変わってなかったはずだ。日付?いったい今は何月の何日なんだろうか。この時刻にはもう、日は昇っているのか?

 そして僕はまた目を覚ました。今度は最初に、自身の頬をつねる。痛い、結構ちゃんと痛い。あとあくびをした後の顎関節症も痛い。今度こそ夢から覚めたのだと思う。ここまで身体と頭が動くのなら、夢ではないのだろう。いやでも、なんというか、自分の動きを誰かが見ているような気がする。それだけじゃないな、心まで読まれているみたいだ。僕がどんな夢を見たとか、それでどう思ったのか、そういうことまで全部。……いや、そんなことないか。ないな。小説の読み過ぎだ。疲れすぎだ。眠ったのに疲れたなんて、やっぱりおかしな話だけれど。でもなんだって僕は、さっき自分の頬をつねったりしたんだろう。そんなことしなくても、起きたら起きたって直観的に分かるものじゃないか?でもなんだか僕はそうしていたんだ。そうすることが決まっていたみたいに。

 そこまで考えたとき、僕は目を覚ました。そして僕は、この一日の始まりを、日記に残すことにしたのだった。4月21日、書き出しは、ええっと、「夢の中で夢を見るような日がある。」でいいかな。

4月23日

 今朝はものすごい地震で目が覚めた。それはそれはすごい地震だった。布団から思わず飛び起きちゃうくらいの衝撃で、一発で完全に目が覚めた。そうしてそのあとで、地面が立てるごうごうという大きな音に気付いて、「もしかしたらやばいのかもしれない」と思った。実際はすぐに揺れも音も収まって、朝はいつもと同じですよって顔をして、ことの顛末を見たはずの太陽だって雲の中に隠れてしまった。いつも通り、いつもよりしんとした朝だった。

 ニュースを眺めてみても、あんまり大きな地震ではなかったのか、ほとんど放送されてないみたいだった。SNSではこのことについて言及している人もいたけれど、ほとんどは大きな音を聞いただけで、揺れまでは体験していないようだった。一体何だったんだろうとぽやぽや考えていた。まあ、あまり考えた意味はなかったわけなんだけれど。

 コンビニに行くために外へ出ると、家の前に大きな大きな割れ目ができていた。不器用な人がケーキを切り分けたみたいに、恐る恐るといった感じで、でも思い切りもあるやり方で、そこに暗い裂け目ができていた。

 覗き込んでも奥はまったく見えなかった。スマホで照らしてみても、全容を掴むことはできなかった。音の反響の感じから相当に深いものだと分かるけれど、一個人が調べるのは不可能だなと思った。落ちたら散々だ。というかこんなことが報道されないなんてことあるのかな。僕は大回りで割れ目を避けて、コンビニへ向かうことにした。

 コンビニの袋を揺らしながら、裂け目の縁を歩いて帰る。風が通り抜けるたびに、割れ目の中で反響するような音がして、高山や高原に来たのかと錯覚する。実際に僕の周りを埋め尽くすのはビルやマンションなんだけど。

 そんなとき、割れ目の間から鳴き声がした。いや、鳴き声というよりも、普通に声だった。少し高く、しわがれていたが、威厳のある声だった。そしてそれは、どうやら僕に話しかけているみたいだった。風の音を聞き間違えたのではと思われるかもしれないが、風の音が「おい」とか「お前」とか、「ちょっとこっちにこい」とか、「いやちょっと、本当に助けてくれんか」とか聞こえることがあるか自分の心に聴いてみて欲しい。そういうわけで僕は、再びその割れ目を覗き込んだ。

 そこで僕は、きらりと光る2つの瞳と目が合った。深淵に覗き返されるのは初めてだったので、少しひるんだ。多分だけど人の目じゃない。猫とか、フクロウとか、そういう種類の目だ。僕がそんなことを考えるのを無視して、暗闇からの声は続く。「なあちょっと、助けてくれんかの。抜けなくなってしまったんじゃ」

 僕がどうやって彼を割れ目から助け出しただとか、そのあとどう管理会社を説得して彼を家に置くことができたかは、ここには書かないでおく。日記なのに、それを書いていたら何度も日を跨いでしまうだろうからだ。ただ一つ言えるのは、僕が今日から二人暮らしになることと、あの割れ目はニュースにはならないだろうということだ。なんでって、あれは彼がすっかり直してしまったからね。

僕を助けられるボタン