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岡潔 夜雨の音で言っている道元禅師は「体取」とは?

岡潔著 世雨の声 より抜粋
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他の悲しみだが、これが本当にわかったら、自分も悲しくなる
というのでなければならない。

一口に悲しみといっても、それにはいろいろな色どりのものがある。
それがわかるためには、自分も悲しくならなければだめである。

他の悲しみを理解した程度で同情的行為をすると、かえってその人を怒らせてしまうことが多い。

軽蔑されたように感じるのである。

これに反して、他の悲しみを自分の悲しみとするというわかり方でわかると、単にそういう人がいるということを知っただけで、

その人には慰めともなれば、励ましともなる。

このわかり方を道元禅師は「体取」と言っている。(・・・略)

理解は自他対立的にわかるのであるが、体取は自分がそのものとなることによって、そのものがわかるのである。

道元禅師は、 
【聞くままにまた心なき身にしあらばをのれなりけり軒の玉水】
と言っている。
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▣ 道元禅師は「体取」とは何か?

昔、ZENという道元が主人公の映画のエキストラに参加したことがありました。
自分が破戒僧を演じ、寺を焼き尽くすというシーンに参加したけど、自分がどこにいるのか?

皆目見当がつかず。

と言う話し、は置いておいて、道元さんは何をしたかというと、座禅を組んで、空!!!という悟りを開くことを伝えた人ですね。

その空!いう色即是空のお釈迦様が唱えた「空の世界」は修行によってしか得られないと言ってた、とのこと。

その自分がない、という空の状態は、自分の今までの経験、知識のフィルターを通して相手と出会わないため、

相手そのものになってしまう、と。

つまりは、今の現在人は情報過多により、その情報を通した世界しか見れなくなっている傾向にあるため、

目の前の人の気持ちをそのままダイレクトに感じることが難しくなっている。

その道元さんの言っていた体取を岡潔さんがさらに分かりやすく説明している。
「他の悲しみを理解した程度で同情的行為をすると、かえってその人を怒らせてしまうことが多い。」
と岡潔さんは言っているが、たしかに~、と感じるものがあった。

よく人の話しを聞く、と言われている人ですらも、うん、うん、うん♪と、
愛想よく傾聴ができていると思いきや・・・・。

なにが良かったの?と聞くと、「え?分からない」と答える人が多いし、そんな場面に出会ったとき、

ちょっとしたプチコントのようにぷっ、と吹き出してしまったことがある。

人は実は人の話しを聞けない。

なぜならば、人間の脳の機能によって、過去しかみれないから。

これは、脳科学の発展や、物理学の研究により、様々なことが解明されてきたので、その解析ができるようになっている。

昔に悟りを開いた道元さんや、岡潔さん。

その2人を別にディスっているわけじゃないけど、現代の情報をうまく活用し、しっかり分析できる「基準軸」さえあれば、

簡単に、道元さん、岡潔さんが言っていることを、自分で整理、納得でき、さらに実践レベルでも、活用できるようになる。

日本では、わびさび、間の文化があり、それを教育体系化に成功したので、その技術を活用することで、

過去に悟った聖人、偉人たちの言っているメッセージが明確に浮き彫りになり、その悟りを日常化できる時代になっている。

岡潔さんの著書「夜雨の音」で言っている道元禅師は体取とは?を自分は明確に説明、体感、人に伝えることができるので、

興味のある方は、ぜひ、メッセージくださいー。

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