今月の作文「僕の真夏の冒険記」

 例年7月は名古屋で開催される大相撲。今年はコロナの影響で、異例の両国国技館での開催となった。「名古屋場所」のはずが「七月場所」と呼ばれている事に違和感を覚える。
 自分が10代のガッツリ引きこもりだった頃、数少ない足を運ぶまで惹かれていた趣味のひとつが大相撲だ。この時期になると、思い切って名古屋場所を観に出かけたことを思い出す。普通の人からしたら何でもないプチ旅行ぐらいだろうけど、自分にとっては何もかもが初めての体験、まさに大冒険だった。今回はこのエピソードを紹介しよう。

 大阪は春場所といっても3月中旬。時期が悪ければ雪まで降るぐらいの寒さで、府立体育館の前で力士の入場を待っているだけでブルブル震えていた。名古屋場所となると今度は真逆、とんでもない暑さだったのを今でも鮮明に覚えている。
 迎えた当日、朝7時過ぎに家を出て、初めて特急というものに乗った。名古屋までの道のりは思っていた以上に揺れが酷くて、現地に着く頃には完全)に酔ってしまってフラフラ。電車を降りてすぐにトイレを駆け込んだ。「前途多難だ…」と思わず声が漏れた。
 駅から出ると雲ひとつない空にセミの大合唱。カラフルな幟と、その先に映る青空のコントラストがとても美しかった。大阪場所のノリで入場待ちをしようと思っていたけど、あまりの暑さにすぐに会場へ入ることにした。これが名古屋場所では正解で、空調の効いた会場のガラス張り廊下から見下ろすかたちで力士の登場を出迎えるのが定番のようだ。入るのが早かったのもあって、結構いい位置を確保することに成功。

 この入待ち、現役の力士はもちろん、親方衆や関取の付け人、さらには最前列にいつも座っているタニマチの方なんかも見られてファンとしてはかなり楽しい。名古屋場所では毎日特等席に座っている女将さんが有名で、黒い左ハンドルの高級車で登場。周りも「おっ女将さん来はったわ」という感じ。しかし駐車が下手で、何度も何度も前後に動き、最後には警備員っぽい人に代わってもらってて、廊下は失笑に包まれていた。
 横綱の入場も見届け、ようやく腰を下ろして中入り後の観戦へ移行。ちなみに大阪だと花道の奥がすぐ廊下になっていて、入待ちが終わると今度は取組後の出待ちをすることになる。また土俵前にあがる前の関取がウォーミングアップをしていたり、行司や呼出も普通にその道を通ってかなり間近で接する事ができる。なので自分は結びの一番ですら席に座らず、取組はNHKリポーター用の小さいテレビで確認する程度。もはや座席チケットというよりただの入場券、一番安い席のチケットを買うのが鉄板なのだ。自分は栃乃洋関に写真を撮らせてもらったことがある。あと千代の富士を目の先30cmで見ることが出来た。オーラが半端なくて思わず背筋がゾクッとしたな。恐怖のあまり写真なんて撮れなかった。

 のんびり観戦を楽しみ、大満足で弓取り式を見届け、跳ね太鼓の音を背に場所を後にする。特急は指定席だし、旅のついでで名物の味噌カツ弁当を食べながら大阪への帰路についた。これが八丁味噌…濃厚な味だがウマイと一人で納得。自宅に着いたのは夜11時前、録画しておいた当日のNHKの取組を流しながら、余韻に浸る。「頑張って行って良かった」と、忘れられない思い出を作ることが出来た。心調と体調が良ければ、今度は両国へ冒険しに行きたいな。

~オマケ~

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若き日の白鵬関。普通芸能人なんかは生で見るとテレビよりも細く見えるけど、力士は逆にテレビよりもでかく見える。武蔵丸が廊下を歩いてたことがあったけど、一瞬壁かと思った。こうして浴衣を着ていると着痩せしてスマートに見えるんだよな。

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地元の大関、琴光喜関が入ってきたら歓声が上がった。賭博問題やら素行やらで色々問題アリだけど、相撲に関しては大関最強ぐらいの上手さだった。この時期の佐渡ヶ嶽部屋がやたら強かったのも、彼との稽古や指導なんかがあったからこそだと今からしたら思えるな。

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