「幸せでいてほしい人」に会ってきた話。
こんにちは、めがねびとです。
「めがねさん」と呼んでください。
先日、この数年交流がある方に会ってきました。
年に数回Zoomで互いの近況を報告し合う仲ですが、これまで実際お会いすることはなく、初めて直接会うことになりました。
この記事を書くにあたり、このお友達を仮に「たぬきさん」と呼ぶことにします。外見がたぬきに似ているわけではありませんが、私が個人的に一番かわいいと思っている動物が「たぬき」なので、親しみを込めて「たぬきさん」としました。
(本人の同意は得ておらず、あとで怒られる可能性もありますが、「笑って許してもらう」という忍術で難を逃れたいと思います。😊)
では、はじめていきましょう。
私は、彼女との不思議な縁を感じている。
私のお師匠様が言われている言葉と同じことを、たぬきさんが言うことがあったり、
彼女から聞いた話が、その後の私の生活とリンクすることも度々起きる。
「あれ!? コレ、たぬきさんが話してたことよね🤔」
このように、私にときどき生きるヒントを与えてくれる印象があった。
そのため、「ちょっと特殊なご縁の人」と感じていたのだった。
そうこうすると、一つ疑問に思うことが出てきた。
「彼女は私にとってどんな存在なのか?」という疑問である。
人間関係にはさまざまな関係がある。
例えば、親兄弟、上司部下、ご近所さん、友達、知り合い、仲間。
これらの中からどれか選ぶのであれば、「友達」ということになるのだが、
なんか私の中では「友達でもないんだよね」という気持ちだった。
友達なんだけど、他の友達と感覚が違うから。
ということで、その辺りの疑問も解消できれば良いと思い、実際に会ってきた。
ここからは、会ってきたときのエピソードや感じたことをお話ししたい。
実際に会った時に、話の流れで、私の陰陽五行の宿命の話になった。
めがね「私はけっこう宿命上、なかなか大変な人なんですよ・・・。〇〇(宿命の特性)があって、それを体験中なんですよ。🤔」
たぬきさん「それは、宿命通りでいいですね😊」
それを聞いて、衝撃が走る。
「それは大変ですねぇ。」ではなく、「宿命通りでいいですね😊。」
この「宿命通りで運がいい!」という決め台詞は、私の陰陽五行のお師匠様がよくおっしゃる言葉である。
また、お師匠様と同じこと言ってる、、。
これでなお、たぬきさんへの尊敬の念を深めることとなり、
「あ〜。本当に、たぬきさんにはかなわないよね。」という気持ちにさせられた。(そもそも競う必要はないんだけど)
あなたにもいるだろうか?「決して勝てない相手」
勝てないというと、なんか仲が悪いように聞こえるけれども、そうではなくて。
仲が良いからこそ、相手の本質を知り、「勝てない」と思わざるえない人のことである。
最近では、前のパートナーがそうだった。
圧倒的な聡明さと、コミュニケーション力、現実対応能力があり、私が勝てるところなど無く、本当に尊敬していた。
この様に、私が「勝てない」と思う時は、最大限の尊敬の念が出てくるのである。
会食が進むにつれ、たぬきさんの口から、普段の生活についてもお話がでてくる。
ご家庭でも健やかに暮らされているのが見てとれて、私は「よかった」と思うのである。
そして、「私のような者で良ければ、たぬきさんやご家族がお困りのときは、お守りしよう。」という気持ちが自然と出てくる。
先だってnoteでも書いたように、
私は「本当の優しさ」で人を幸せにできるよう、修練中である。
それと重なり、彼女という存在を借りて、「無欲に人を幸せにすること」を練習していくのではないか、と感じている。
でも、本当は、私も心得ている。
私より、たぬきさんの方が、ずっとたくましく、力強い。だから私の力など必要となることはないだろう。
けれども、そういう心持ちになることが大切だと思うのである。
ということで、たぬきさんには「幸せでいてほしい人」という称号が与えられたのである。
ここで、たぬきさんとの昔話をしようと思う。
初めて二人でZoom会(井戸端会議)をした時、私は強い衝撃を受けた。
「こんなすごい人、この世にいるんだ!! 世紀の大発見だ!!」と驚いたのだ。
それくらい、私に何か感じるモノがあり、当時の私は彼女に
「おともだちになってください!」と正々堂々とお願いしたのである。
(男子高校生の「付き合ってください!」と同じくらいの勢いで)
今思い返しても、「ナイス!心意気!」と当時の自分を褒めてあげたい。😊
そして、この際、「このご縁も、いつかは薄くなるかもしれない」と思った記憶がある。
せっかく、「ともだちになって下さい」と言ったにもかかわらず、「終わることもあるかもな」なんて、なんで思ったのだろうか。
でも、この気持ちは今でも持っている。
「ぜひ、幸せでいて欲しい。何かあれば、お守りいたします」と思っているにもかかわらず、「役目が終われば、縁遠くなる」ということも感じている。
もちろん、互いが必要とすれば、ずっと仲良しでいれるし、そうしたいのだけれども。
「互いが互いの役割を担っている」ように感じるため、「役割が終われば、縁遠くなることの覚悟」も私は持っている。
こんな感覚は初めてで、私も他に友達はいるけれども、これまでの友達に「特別な役割」を感じたことはないし、友達を助けるのは当然だと思っているけれども、「お守りいたします」といった名セリフは、私の中には見当たらない。
そういうことからも、「特別な人」だということは、疑いようがない。
これは、私の妄想かもしれないが、妄想であったとしても、真実であったとしても、
「私が本当の優しさを習得する」という意味では変わりがないのだから、これはこれで良いではないか。
そして、今日もたぬきさんと、たぬきさんのご家族の幸せを祈るのである。
2022年10月21日
めがねびと
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