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石畳に足を滑らせても

明け方4時、ガラスが割れるような雷の音で目を覚ました。窓の外は雨の絶え間ない線で真っ白になってる。
雨を怖いと思うようになったのはいつからだろう。斜面地に住むことを望んで、その反面でおびえながら生きてる。3年前の昼前、外から爆発音のような音がして家を飛び出したら隣のごみ屋敷がつぶれてた時からだろうなきっとと思いながら、とりあえず窓ガラスが割れていない事に安堵して、もう一度毛布に潜った。

栃木の夕立はこんなモンじゃなかったなぁと思う。夏の日はほとんど毎日とんでもない勢いの夕立があって、来ている服なんかは数秒でぐっしょり濡れてしまう。部活をやっている時間や下校中にそんな雨に降られて屋根のある渡廊下や軒先に身を隠したものだった。そうして簡単に凌いでいたっものだった。

瞬間的な雨量は、栃木の夕立の方が今回の雨よりも3年前の雨よりもきっとずっと多い。それでも、地形的に継続時間的に、ここに降る雨は栃木に降る夕立よりもずっと強い力を振りかざす。その栃木でも2年前には宇都宮駅前の川が氾濫して大きな被害が出ていたけれど。

そんなことを思いながら、斜面地にあるこの家を出ていくことが決まった。ただし、出ていく先もまた斜面地である。その土地も上方の土地も立派な石垣でハザードマップからも外れているので、少なからず安心感はある。本当に大丈夫かは分からないけど、平地だったら大丈夫とも言えもしないだろうしと少しばかりの安心感を頼りに踏み出した。

大正7年に宮大工の棟梁が自宅として建てたという古い古い家、というより屋敷のような建物。現状、中も外も朽ちていて、天井からは雨漏りもしている。とてもじゃないがすぐには住めないけど、このまま朽ち果てさせてしまうには惜しすぎると思った。

斜面地にはめずらしく、すぐ隣まで車が入る利便性と抜群の立地の良さを持つ。今はプラスチックの波板が張られてしまっている2階の縁側からは、眼下に尾道水道が横たわっている。どんなにいい眺めだろう。
室内は伝統的な日本建築の設え、モールディングの施された漆喰塗り天井の洋室もあって、縁側は寝そべることが出来るほど幅が広く、そして気持ちがいいくらいに長く伸びている。
入り口には門担ぎの松、松をくぐった飛び石の先にはちょうど良い大きさの日本庭園があり、梅や金柑のような実が成った木が佇んでいる。
長きに渡って鎮座しているからこその風格があって、0から作り上げる事はまず無理だろうと思う。一度壊してしまったらそこで未来永劫消えてなくなってしまうような建物で、なんとか修繕してやりたいと思う建物だった。

随分と前からこんな絵空事を描いていた。インターネットで調べる限り、築年数が古い物件は銀行の融資が厳しい事がすぐに分かった。建築基準法が施工される1950年より前に建てられた建物はなおさら厳しいとの事だった。実際相当面倒だったし、銀行に門前払いをされたこともあった。
それでも調べて調べて、何が問題とみなされるのか、どうしたら問題ではないと認識してくれるのかを突き止めて、一つ一つ、根拠となる条文や資料を提示して説明した結果、数ヶ月の時間を要したが無事に融資が通った。努力が報われるというのはこういう事を言うんだなと初めて実感した。

思えばこれまでの人生でそんな風に思えた事はなかった。自分が力を入れている事はうまくいかないし、何か良く分からないけど対して力をかけていないようなものがうまくいく、そんなことばかりだった。なので今回の事が心底嬉しい。
幸いにも良い地元の工務店さんも見つかり、ただただ楽しみだ。かつて荘厳な空気をまとっていたに違いないその建物に、再び息を吹き込んで輝きを取り戻してもらおう。どんな景色が見えるだろうか。

建築だけでなく何事にも言えることだけど、古くて良いものはなるべく形を変えず残して、あるいは復元して、古くて勝手の悪いものは現代の暮らしに合わせて変えていく、そんな風にしてやっていったらいいのにね。一体あんたら何をやってるんだ、というような事ばかり起こる。関わる人達のことをそんなことで嫌な思いをする事がないようにしていきたい。

明日着工です。

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