淡い記憶
昨日に続いて PENTAX K-3 を首から下げて散歩に出た。レンズは43mmリミテッド。そしてカスタムイメージはほのかをちょこっといじったやつで。
淡くハイキーなのはこれまでどっちかというとあんまり選ぶことなかった。ちょっと暗めのほうが好きなのよね。
一眼レフだとファインダーで見てる像はカスタムイメージとは違うので、撮ってから液晶画面見て確認。そこらへんがミラーレスと決定的に違うとこ。ミラーレスのほうが進化形なのは明らかよね。
でも、フィルムカメラに近いとも言える。撮った後、現像が出来上がるまでのドキドキする感じとかね。まあすぐさま液晶で確認できるけれど。
RAWでとって現像するという写真の楽しみ方をしない撮って出し専門なので、浅はかなのは承知しているけれど、作りこまないところが自分の性に合ってる。
ちょっと暗すぎるな、みたいなのも、まあそれはそれで、と。
それはさておき淡い感じもいいよね、確かに。
うちの娘はオタクと言えるくらいのK-POP好きで、最近家族団らんの時間にK-POPの動画を一緒に視聴することが多い。おかげでK-POPっていいんちゃう、と思うようになってる。
しかし、何度視聴してもなかなかグループ名が覚えられない。曲も聞いたことある、となるけど誰の何という曲かがわからないまま。
Amazon Music で80年代ポップスを視聴すると、知ってる曲がかかる。誰の曲かわかる。曲名までわかったりする。アルバムのジャケットまで思い出せたりする。
80年代は中学から高校、そして大学入った頃。その頃の体験は、淡い記憶にはなってるけれど、色濃く残っているとも言える。呼び起こすことができるのである。
ちょっとずつではあるけれど、K-POPについて学んでいるところだけど、若い頃、洋楽にはまりだしてレンタルレコード店で借りてきたレコードをカセットテープに録音して、タイトルを手書きして、そのテープを何度も聴いていた頃に覚えた状況とは、あまりにも違う。
K-POPはほぼリアルタイムなんだけど、そっちのほうが淡い記憶である。
認知症ってこういうことなんだろうね。淡い記憶のはずの若かりし頃の甘酸っぱい記憶は明瞭で、つい最近の出来事のほうが、どんどん消えてゆく。悲しいくらい。
80年代のポップスターはすでにもうこの世にいなかったりするのに、鮮明なのである。
今日の夕方、仕事終わりに娘が仕事場に寄ってくれた。就活中で、履歴書を送るからってことで、一旦帰宅して、犬と一緒に窓口が開いてる郵便局まで散歩がてら一緒に歩いた。
普段から会話してるけれど、こうして二人きりで歩きながら話すのはまた格別だ。
就職という人生の一大イベントに差し掛かって、この職業を選択するに至った経緯などを振り返り、自分の歩みについて、自分の思いを話してくれた。
父親としてもこんなふうに考えているってことを確かめることができて、うれしい。手前味噌ながら、ほんと、いい子に育ってくれたと思う。
25年前の自分が就職を控えていたころのこと思い出しながら娘の話を聞いて、淡い記憶を懐かしんだ。決して順風満帆ではなかったことも。
壁にぶち当たりながらも、それを美化できる才能があれば、大丈夫。どんなことがあっても乗り越えていけるはず。
25年前のこと、かなりリアルに語れる。考えたら決して淡い記憶ではなく、熱い記憶だ。80年代ポップと同じように、青春時代の色濃い記憶。
それに比べて最近の記憶は思い出そうとしてもなかなか思い出せないことがある。まさに淡い記憶。これが人の生理現象なんだな、たぶん。
淡くともリアルな記憶蘇る80年代わが青春よ
smc PENTAX-FA 43mm F1.9 Limited / PENTAX K-3
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?