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8月は広島と長崎の日があって、終戦の日もあるけれど、12日も印象に残る日だ。35年前、ぼくは高校1年だった。

テレビのテロップに航空機が行方不明になったことが流れた。見ていた番組は思い出せない。高校生ながらに、とても大変なことが起こったんだとドキドキしたから、断片的ながら記憶に残っているんだろう。

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この年はどういうわけか阪神が強くて優勝した。それもあって、35年前の1985年の夏は印象に残って、毎年8月12日に記憶が呼び起こされる。高校1年の夏。

今日もあの時のことを思い出して、家族で話題にした。娘と息子は大学生になり、その飛行機に坂本九が乗ってたんやろ、とか、生存者が二人いたんやろ、とか知ってた。

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飛行機が墜落するって、想像しただけで恐ろしい。安全な乗り物というイメージはあるけど、墜落したら、助からない。どんな屈強な人でも、ダメだ。

飛行機に乗ってて気流が乱れているところを通って揺れるときがある。あれは気持ち悪い。よほどのことがない限り大丈夫なのはわかってても、怖い。

御巣鷹山の機体には、墜落するとわかって、落下しながら書かれたメモが残されていたと記憶している。どんな気持ちだったんだろう、と高校生だったぼくでもいろいろ想像した。

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日航にとって、35年前のダメージと、今年のダメージではどちらが大きいだろう。比べられるものじゃないと思うけど、今、航空会社が直面している難局も、ぼくにはとても想像できない。

どうにかして乗り越えてもらいたいと思う。

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わかりにくいけれど、上の写真にはセミが5匹写っている。たぶん、5匹だと思う。この木の下を通る時のセミの音量はなかなかのものだ。

まさにセミの鳴き声のシャワーを浴びてる気がする。

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今日のレンズはEBC FUJINON 55mm F1.8 。M42スクリューマウントなので、マウントアダプターはそのままでIndustar61をはずして交換した。Helios やPancolarはもちろんのこと、Super-Takmarも共通だ。だから、オールドレンズやるならまずM42スクリューマウント。

PENTAXユーザーならKマウントの一眼レフ機でもコンパクトなアダプターでM42は使える。ぼくはあんまりやらないけど。

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古いfujinonをX-E3に組み合わせて撮るって、絶対やってみたいことやん。

そしたらやっぱりfujinonってよく写るよねってなる。さすがフジって。今フジがイケてるからそう思うのかな。イケてなかったら意外とやるやん、なところを。

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さすがって言われるようになることは目指すけれど、その前にだいたい意外とやるな、という段階がある。ぼくはこの意外とやるな、が好きだ。

意外性っておもしろいし、意外とやるやつを見つけた時の喜びは大きい。

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35年前と同じようにお盆を迎える。あの年のお盆休みに何をしたかなんてことはもちろん覚えていない。去年のお盆はどう過ごしたか、と思い出そうとしてもパッと思い出せないんだからね。

だから、記録しておくって大事かなって思う。すぐ忘れてしまうから。

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毎日こうして写真を撮って記録を残す。記憶からはどんどん消えてゆく。それでいい。というか仕方ない。

忘却は苦しさから逃れるためにも必要だし、よかったこともさっさと忘れて前に進むほうがいい。昔話より未来の話のほうがワクワクする。

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遺族の方たちにとってはそう簡単に忘れられるものではないだろう。しかしながら、体力的に墜落現場を訪れることが困難になってゆく。時の流れは非情だ。

広島でも長崎でも、当時を知る語り部は減っている。風化させてはいけないことも、どんどん過去になってゆく。

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今起こっていることも35年も経てばそういえばそんなことがあったらしいね、となっているだろう。35年後に生きている自信はないけど、10年後なら可能性は高い。

ただの風邪ではないやっかいなウイルス感染症は10年先のぼくらに何を残しているだろう。あれのおかげで今もたいへんだよ、なのか、ああ、あの時騒いでたのが嘘みたい、なのか、どちらでもないのか。

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きっとこの世はよくなると信じている。必ず乗り越えて、平和に暮らせるはずだって思っている。

事故が起こってしまうことは避けられないところがある。それも必ず乗り越えられる。と、思うことにしている。

思い出す35年経た今も墜落事故と3連発を

EBC FUJINON 55mm F1.8 / FUJIFILM X-E3

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