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パソコンながら術

 昭和の終わりころから一般の人でもコンピュータを使うようになって、やがてインターネットも普及して、平成に入ったあたりから人の生活がそれ以前とは様変わりしました。これからもまだまだ変わっていくんでしょう。
 あなたはコンピュータとインターネットがない時代を知っている世代ですか、それとも知らない世代ですか?

なぜ寝っ転がってパソコンを使うのは難しいのか?

 床に寝っ転がってテレビを見たり本を読んだりゴロゴロしたりウトウトしたりすることはよくあるが、寝っ転がってパソコンをするのは難しい。テレビを見るのも本を読むのもゴロゴロするのもウトウトとするのもパソコンするのも似たようなものだと思うが、その中でパソコンだけは寝っ転がってやりにくいのである。
 特に冬場に床暖房がついていたりすると、パソコンだって床に寝っ転がってやりたくなる。どうせダラダラやるのだから、必ずしも椅子に座ってなくてもいいじゃないかと思う。ちなみに、スマホやタブレットなら寝っ転がってやるのもそれほど難しくないのかもしれないが、キーボードを使いたいとなればパソコンでなければならない。ここで言っているのは、キーボードのついたパソコンのことである。
 寝っ転がってやるとなると、仰向けになるか、横向きになるか、うつ伏せになるかのいずれかである。ところが、そのいずれも、ダメなのである。
 仰向けになると、パソコンを手で持っていなければならないから、キーボードが打てない。横向きになると、パソコンを固定することはできても、肘を伸ばすスペースがないからやっぱり文字を打てない。そして、うつ伏せになると、パソコンを固定できて文字を打てるのだが、男なら ○○ が痛い、女なら ◇◇ が痛い。
 考えてみると、○○ も ◇◇ も必要なのは一生のうちのほんの短い期間だけだ。人生80年とすると、せいぜい数年から十年ほどの間だけ。けれども、人はそれを一生抱えて生きている。そいつが、うつ伏せに寝っ転がってパソコンやるのをジャマするのである。
 いま、床暖の上で寝っ転がって note の記事を書いている。ぬくぬくだけど、痛い。人間ってあんがい不便なものだなぁと思ったり、種の保存のために進化してきた生物の一種だから仕方ないのかなぁと考えたり。こうして、自分もまた自然界の生き物の1つなんだなぁと思い返したり。

Webページで縦書きする方法

 最近のタブレット端末は持ち方によって画面の向きが自動で回転する。その仕組みは重力の向きを感知して自動で画面の向きを変えているようで、ユーザーがパネルの向きをあまり意識しなくても大抵はちゃんと正しい向きで画面を表示してくれる。
 でも、寝っ転がって見ようとすると、しばしば画面の向きがおかしくなる。寝っ転がって本を読むとき、頭の向きと本の向きが同じだけ傾けば何も問題なく読めるが、タブレット端末が傾いたときに連動して画面が回転すると逆に読み難くなってしまう。
 そのときハタと気が付いた。この機能をうまく使えば、Webページで日本語を縦書き表示することができそうだと。下の文字、普通の向きでは読み難いだろう。でも、寝っ転がって本を読むときのように、タブレット端末を手に持ったまま、体の左側面が床に着くような向きで寝っ転がって読めば、ばっちり読めるのである。いまタブレット端末でこの記事を読んでいる人は、ぜひ試していただきたい。

縦書き

 上の文字は画像だが、次のようにやればテキストとしての文字だってちゃんと縦書きで読める。どうすればいいかというと、

◇ 通常の日本語フォントを左向きに 90°回転した「横向きの日本語フォント」を用意して、
◇ 通常の画面の向きを「右向きに 90°回転して画面を固定」する

 これだけで実現可能なのである。パソコンにはたくさんのフォントが入っているので、1つくらい横向きフォントがあってもいいだろうし、自動で画面の向きを変えられるのなら画面の向きを任意の向きに固定するのは技術的には簡単なはず。そして、この2つの条件が整えばそれだけでWebページで日本語の縦書き表示もできるし、昔ながらの右から左に文字を並べる書き方(上の写真の「来遠橋」の表記のように)もできるのである。(この記事そのものは、横向きフォントが無いので、残念ながら縦書きに対応していない)

人はなぜデジタル機器を四六時中使っていられるのか?

 車や飛行機は、人の「」の代わりである。その目的は移動することであって、それを使えば時間を節約できる。洗濯機や掃除機は、人の「」の代わりである。その目的はきれいにすることであって、それを使えば楽できる。
 さて、テレビや携帯電話、ゲーム機やコンピュータは何の代わりなんだろう? それを使う目的は何なのか?
 車や飛行機あるいは洗濯機や掃除機は、運転手やクリーニング屋でなければ、四六時中使うものではない。長時間使い続けなければならないときがあるとすれば、それはなかなか辛いだろう。むしろそうならないようにそれらの機械がある。だからそれを使う時間は短ければ短いほどいい。
 ところが、テレビ・携帯電話・ゲーム機・コンピュータなどのデジタル機器は四六時中使っていられるのである。ボーっとテレビを見たりかじりついて見たり、なんとなく携帯電話をいじったり誰かと連絡を取り合ったり。暇つぶしでゲームしたり人と対戦したり、転々とネットサイトを眺めたりパソコンで何かを作ったり。
 それらを使う目的は、娯楽であったり、暇つぶしであったり、意思疎通であったり、創造であったりするのだろう。いずれにせよ、何かを節約することが目的なのではない。むしろ人は好んでそこに時間と労力を注ぐ。それを使うことがその人にとって有意義なのだろう。そうでなければ、四六時中使ったりはしないはずだ。

 人はなぜ四六時中デジタル機器を使っていられるのか? 答えは、使うことそのものが目的だからである。なぜ使うことが目的になり得るのか? 答えは、デジタル機器が人の「」の代わりになっているからだ。娯楽・暇つぶし・意思疎通・創造など脳の働きを代用するのがデジタル機器なのである。
 またボタン1つでいろんなことを実現できて、ブラックボックスの中で何が起きているのかを意識する必要はない。これまで脳で処理していた作業手順をブラックボックスが代用しているのだから、これも脳の代わりと言える。デジタル機器はより複雑な処理を実現しながら、同時に脳の負担がより少なくなる方向にさらに進化するのだろう。
 すなわち、デジタル機器は脳の一部として機能しているのである。それが良いことなのか、悪いことなのかはわからない。たぶん両方なのだろう。いずれにせよ、だから人は四六時中デジタル機器を使っていられるのである。

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デジタルとアナログの間で 〜 
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