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モンスター・ペアレントの言い分には一理ある

 モンスター・ペアレントという言葉がある。ある時、よその学校の先生たちとおしゃべりしていて、そんな話になった。そこで僕は持論を展開。

 モンスター・ペアレントの言ってることは大抵の場合、間違っていない。正しいと言えば、正しい。しばしば筋が通っている。しいて言えば、視野が狭いだけだ。
 私なら相手にこう言う。「あなたの言うようにやるという方法もある。でも、他の方法もある。いくつかの選択肢がある中で、私はあなたの考えとは違うやり方を選んだ。そういうこと」

 大事なポイントは「相手(モンスター・ペアレント)が言ってることは(ある面では)正しい」ということ。こちらはその点を踏まえて、そしてその通りに相手に伝えればいい。そこから話を始めよう。
 よその学校の先生はこう言った。「でもそれじゃ相手(モンスター・ペアレント)は納得してくれないでしょ」。そこで、僕が付け加えた。

 なぜ相手を納得させる必要があるんだ? こちらはこちらのやり方を説明すれば、それで十分。説明責任を果たすというのはそういうこと。
 それに納得するかどうかは相手側の問題。こちら側の問題じゃない。相手が「納得できない」と言うなら、「あぁそうですか」と言うしかない。
 どっちを採るべきかを争う必要もない。それを決めるのはこちら側だから。

 かの先生はさらに言う。「そんな言い方をしたら、相手はきっと逆上しますよ。とことん食い下がってきますよ」。

 こちらはもう一度繰り返すまでさ。「どの方法を採るかは私の問題、あなたの問題じゃない。最終的には、私が決める。
 私の説明に納得するかどうかはあなたの問題、私の問題じゃない。私はそこに口を出さない」。

 親にだって自分の考えを表明する権利がある。むしろそれは望ましいことだ。それを封じよう、相手を黙らせようとするのは大間違い。そんなことをしたら、それこそ一方的にこちらが悪いことになる。
 むしろ学校という場所は、異なる意見を交換するのにふさわしい場所、それはむしろ望ましいこと、そんなふうに私は捉えたい。生徒にも親にも、思うことは口にしてほしい。学校はそういう場でありたいと思う。

 でも、最終的に決めるのは、こちら。親の意見を取り入れるか否かを含めて、学校の中でのやり方を決めるのは教員だ。それがお互いの役割分担というものだ。

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