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農園「遊あしがら」レポート

 冬のある日(2023/1/21土)、神奈川県南足柄市の農園「遊あしがら」に出かけた。みかんを収穫し、ヤギと戯れて、美味しいものを食べた。恒例の「農業体験&アグリヒーリング」に初めて参加したのが去年6月。今回は3度目で、スタッフの皆さんともすっかり顔馴染みになった。

みかん畑の SDGs

 みかんを収穫しながら考えた。その畑では、サイズの大きいみかんは出荷しない。見た感じ、そんなに大きいという感じはしないのに、農協が儲けた基準を超えるものは廃棄する。焼きみかん(写真右)にするには大きい方が良いと思うのだが、そんなレアな需要は無視して多数派の好みに合わせれば、その基準になるのだろう。
 サイズ以外に、割れたもの、汚れたもの、虫喰っているものも廃棄する。だから、みかんの木の下にはたくさんのみかんが腐るがままに転がっている。

 でも、地面に転がっているみかんのうちのかなりの割合は実際には食べられる。勿体無いと言えば、勿体無い。そしてこういう話題で出てくるのが SDGs 、そしてフード・ロスという言葉だ。
 では、ここで自論を展開しよう。「循環」という観点で語る。

 畑に放置されたみかんは虫の餌になり、細菌類の栄養分にもなる。もちろん今時のこの辺りでは猪や鹿の餌にもなる。そして生命界で循環して、やがて土に還る。そしてみかんの樹の養分となって、みかんの実がなる。そう考えると、地面に放置することは無駄ではないし、失われるものは何も無い。
 一方、それを人が食べるとどうなるか。みかんの皮を自治体のゴミ収集に出せば、燃料で燃やして大気中の二酸化炭素が増えるだけだ。みかんの実を人が食べた後に水洗トイレに流せば、化学物質を投入して川と海を汚すだけだ。どちらにしてもみかんが土に還ることは無い。こちらの方が、考えようによっては、実に勿体無いのである。
 つまり、みかんの皮を畑に捨て、食べた分を畑で出すならそれで良いのだが、そうでないなら、人がみかんを食べるより、みかんを地面に放置する方がはるかに SDGs なのである。持続可能であるための第一条件は「循環」なのだから。

ブサ可愛いのがヤギ

 ヤギはなんとも目つきが悪い。人相ならぬヤギ相が悪いのだ。なぜなんだろう?
 その訳は、目玉を見れば分かる。眼球は丸いのだが、瞳の部分、つまり黒目の部分が横長なのだ。楕円形ならまだしも、ほぼ長方形。だから、全くもってお目々クリクリでは無い。
 体型もなんだかパッとしない。モコモコしているわけでもなく、スラリとしているわけでもない。ではどんなかというと、人で言うならぽっこり型だ。痩せているのにお腹が出ている、あの体型に近い。
 ではヤギは可愛くないのかというと、そうではない。絵に描いたような可愛さではないが、なんだか安心できる可愛さがある。言うなれば、ヤギはブサ可愛い。

 ところで、ヤギの本当の可愛さは別のところにある。コロコロ、つぶつぶ、まんまるのうんちである。年がら年じゅう草を喰っているから、その頻度も多い。しかも臭くない。土の上でするとすぐに土に馴染んで、誰も掃除しないのに、いつもきれいな土のままだ。
 人以外の多くの哺乳類がそうであるように、ヤギもまた自慢げに肛門を見せつけながら過ごしている。そしてそこから時おりコロコロ・つぶつぶ・まんまるが湧くように出てくる。その光景もまたヤギならではのブサ可愛さなのである。

花咲く季節

 1月下旬、梅の花が咲いていた。まだまだ寒い日が続くが、春も近づいている。そこでうたむ。

花咲く季節は植物の発情期。
蝶が舞う季節は昆虫の発情期。
鮭が川を遡る季節は魚の発情期。

そして次の季節がやってくるまでセックスレス。

花粉を飛ばしそれを受け止めるために花が咲く。
異性と出会うために蝶は生涯の最後に空を飛ぶ。
鮭が川を遡る目的はメスにもオスにもただ一つ。

そのほかの季節にはセックスロス。
人だけはだいぶ違う。

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