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昔話の裏事情

 有名な日本の昔話からあと3話、うら事情を語ります。

かちかち山の報復合戦

(たぬき) かちかちいうのは何の音?
(うさぎ) かちかち山のかちかち鳥がないたのよ
(たぬき) ぼうぼういうのは何の音?
(うさぎ) ぼうぼう山のぼうぼう鳥がないたのよ

軽快なリズムに乗って、物語は進みます。今日は、この物語を検証します。

◆ 前半戦
 畑を荒らすたぬきを爺さんが捕まえて、婆さんに言った。「たぬき汁にしてしまえ」。ところがたぬきは婆さんをだまして逃げ、隙をみて婆さんを殺し、ばば汁にしてしまった。爺さんはたぬき汁だと思って「うまいうまい」とそれを食い、後で婆さんを食ってしまったことに気付く。
 昔話「かちかち山」の前半戦は、もともとこんな話だったらしい。相手チームに押されながらも、たぬきがこぼれ球を拾って、起死回生のゴールを決めた。そんなところだろうか。前半戦はたぬきが1点リードして折り返し。

◆ 後半戦
 ここでうさぎが登場する。爺さん婆さんの助っ人だ。うさぎが復讐に立ち上がった。うさぎは色仕掛けでたぬきを誘い、たぬきはコロッとだまされた。うさぎは、たぬきにやけどを負わせ、傷口に唐辛子を塗りつけ、泥船に乗せて水に沈める。たぬきは「二度と浮かび上がってこなかった」ということだから、死んだに違いない。
 爺さん婆さんチームの戦力補強が功を奏し、後半戦は一方的に攻め続けて、1点を取り返した。結果はドロー。どちらも勝ち点1。

 さて、この話の前半戦と後半戦は、つながっていなきゃいけないのだろうか。前半戦は「たぬき VS 爺さん婆さん」で、うさぎはまるで関係ない。後半戦は「たぬき VS うさぎ」で、爺さん婆さんは登場しない。
 というわけで、前半戦と後半戦を別々の話として解釈してみよう。そうすると、前半戦は「たぬき汁もばば汁も、どっちもどっち、お互い様」という話になる。後半戦は「女が男をだまして、殺した(きっと財産か何かを手に入れたに違いない)」という話になる。
 もともとは全然別の話だったものを、誰かがつなげた、もしくはいつの間にかつながったんじゃないか。なぁんか取って付けたような感じで、話を無理やりドローに持ち込んだような気がするんだよなぁ。

こぶとり爺さんの不条理

 爺さんAが鬼の前で踊りを踊ったら、鬼は爺さんのこぶを取り上げた。
 爺さんBが鬼の前で踊りを踊ったら、鬼は爺さんにこぶをくっ付けた。

 昔話では、一人は良い爺さんで踊りが上手く、もう一人は悪い爺さんで踊りが下手だということになっている。しかしこの設定は、話の本質とは関係ない。鬼はこぶを質として預かったのだが、鬼がそれを選んだ訳は「爺さんの大事なもの」と勘違いしたからだ。
 鬼が勘違いすることなく、爺さんの本当に大事なもの、たとえば宝物を預かったとしたら、どうなるか。その場合、先に踊った良い爺さんが損をして、後に踊った悪い爺さんが得することになる。
 場合によってはそういう展開になったかもしれないのである。得したのが良い爺さんで、損したのが悪い爺さんだったというのは、たまたま偶然にそうなったにすぎない。だから結局のところ、爺さんが良い人か悪い人か、踊りが上手いか下手かは、この話には関係ないのだ。

 では、この昔話の言わんとしていることは何なのか。
 二人の同じような爺さんが同じように行動したら、一人はエラク得をして、もう一人はエラク損をした。それだけのことなのだ。鬼は不条理の象徴である。人間どもには鬼をどうすることもできない。
 それを受け入れろ。これが昔話「こぶとり爺さん」の本質だと思う。

わらしべ長者のジャパニーズ・ドリーム

 昔話「わらしべ長者」は物と物を交換するうちに、貧しい者が大金持ちになるという話である。最初の持ち物は1本のわらしべである。それを次の順序で交換していく。

1本のわらしべ → 蜜柑 → 反物 → 馬 → お屋敷

 交換するたびに持ち物がだんだん高価なものになっていく。でも、交換する相手にとって不利な交換だったかというと、そうとは言えない。みなそれぞれに事情があった。相手にとっても交換は必然だった。市場経済が未熟だった時代と場所において、しかも市場参加者が2人しかいない状況において、需要と供給のバランスがとれた結果として交換が成立したのである。
 もちろん、その場に居合わせたことは男にとってラッキーだった。それが立て続けに何度も起きたことはもっとラッキーだった。

 ところで、アンデルセン童話にちょっと似ている話がある。「腐ったリンゴ」という話だ。これも物と物を何度も交換する話である。男の最初の持ち物は馬である。それを次の順序で交換していく。

馬 → 牛 → 羊 → ガチョウ → 雌鶏 → 腐ったリンゴ → 樽いっぱいの金貨

 見ての通り、交換するたびにどんどん安っぽいものに変わっていく。「わらしべ長者」とは正反対である。この話では、男には実は交換する必然性はなかった。今風にいえば、衝動買いみたいなものである。そして最後に、ひょんなことから大逆転するのである。そして、貧乏人が最終的に金持ちになったという筋書きは「わらしべ長者」と同じである。

 ところで、これらの話、「風が吹けば桶屋がもうかる」に似てないか?

風が吹く → 砂埃が舞う → 目を悪くする → 三味線弾きになる
→ 猫が殺される → ネズミが増える → 桶をかじる → 桶屋が儲かる

 いずれの話も可能性がゼロではない。でも、現実にはありそうもない。まして自分の身に起こるとは考えにくい。真似したところで二番煎じは狙えない。
 今でいうと、宝くじの当選率よりずっと低い。そんなことは昔の人もわかっていた。だから、流行るのだ。そう、昔からギャンブル依存症的な人は意外といたのかもしれないな。

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