コロナ対策のストレスから子供たちを守れ
ある学校の先生が言っていた。「コロナ・ウィルス感染から子供たちを守る」と。でも、私は思う。子供たちにとっての現実的なリスクは、ウィルス感染そのものよりも、ウィルス対策によるストレスの方だ。だから、いま言うべきは「コロナ対策のストレスから子供たちを守る」ことじゃないか、と。
子供たちがコロナ・ウィルスに感染しても多くの場合無症状で、もしくはせいぜい軽症だ。重症化する可能性は小さい。そのリスクはゼロではないにせよ、インフルエンザなど他の病気や怪我に比べて決して大きいものではない。
それに比べれば、コロナ対策によるストレスは確実に子供たちに及んでいる。そしてそのことに因るであろう弊害がすでにいろんなところに出てきている。
「中高年者をウィルス感染から守るために、子供たちにも協力してほしい」ということなら理解できる。そしてその場合は「ほどほどに」ということになるだろう。それに対して「コロナ・ウィルス感染から子供たちを守る」という発想はしばしば「徹底的な」対策になりがちで、現にあちこちの学校でそうなっている。
もう1年以上になるのだよ。もうそろそろ「コロナ対策のストレスから子供たちを守る」方向に舵を切った方が良いんじゃなかろうか。いや一刻も早くそうするべきだと私は思うのだ。
「ストレスを感じているのは大人も同じ」と言うかもしれない。でも、子供の事情は大人のそれとはだいぶ違う。大人のストレスの大半は自分の判断によるものだけれど、子供のストレスには自分の判断に加えて、大人からのプレッシャーによるものが多い。大人は「大人の事情」で子供に要求する。それらもひっ被ってしまうのが子供なのだ。
「大人の事情」から子供に(時に無用な)ストレスをかけるのは学校の先生も同じで、だから子供のストレスは大人の何倍も大きい。それでいて子供は言葉にするのが上手くない。いや、口にすると大人に、先生に倍返しされるのがわかっているから、子供は口を閉ざす。
たとえば「うちの学校からクラスターを出すわけにはいかない」なんてのも単に大人の(学校の)我がままなのだよ。そんなものは罹っていない生徒たちにとってはどうでも良い話なの。自分の学校の先生がさらに口うるさくなるであろうことを除けば、何の被害も損も無い。「先生がさらに口うるさくなる」ことについても、それこそ「大人の事情」なんだから、「勝手に言ってろ」としか言えない。
そこで私は考えた。通学の電車やバスの中でマスクして声も発せず黙って乗っているのだから、学校に着いた瞬間から「コロナ対策フリー」にしてしまおう。校門を入ったらすぐにマスクを外して良いとする。大声で叫ぶもよし、じゃれ合うもよし、ツバをかけ合うバカがいても「勝手にやってろ」と放置する。
そして下校時の電車・バスの中では再びマスクをして静かに乗る。「中高年者をウィルス感染から守るため」だ。そのための協力なら惜しまない。けれどもその代わりに、学校の中では思う存分自由に、コロナのことをすっかり忘れて過ごす。これが「コロナ対策フリーな学校」だ。
絶妙なバランスだと思うな。それくらいで行こうよ。
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