「がんばりたいと思います」の構造
「がんばりたいと思います」の構造
スポーツ選手もアイドルも、こぞって言う。
この構造を分析すると、
なにを表明しているの? ストレートに
と言えば良さそうなものなのに、そう言えない事情が何かあるのでしょうか。
「おわびを申し上げたいと思います」の構造
誰かが記者会見して次のように発言した。
この構造を分析すると、
なにを表明しているの? ストレートに
と言えばいいのに。。。
ところで、「おわびします」と言うことは「わびた」ことになるのか?
たとえば「ラーメンを食べる」という「発言」は「ラーメンを食べる」という「行為」と同じではない。だから「ラーメンを食べる」と発言してもラーメンを食べたことにはならない。
同様に「おわびします」という発言は「わびる」行為とは違う。「おわびする」と発言しても、わびたことにはならない。
僕がわびられる立場だったら、
こんなやりとりになりそう。
いや、別に「謝ってほしい」わけではないのだが、誰かが「おわびする」と言うなら、少なくとも
そんな発言が無きゃおかしいと私は思うのだ。
そんなことを考えていたら、別の人がこう言った。
この「心から」という接頭語もまるでトンチンカン、大きく的を外していることがお分かりだろうか。
「心から反省する」というならわかる。「反省しているかどうか」は当人の心の問題すなわち主観であるから、これにさらに「心から」という主観を重ねて、当人の心模様をより詳しく語ろうとするなら、それはそれでおかしくない。
けれども「わびたかどうか」は行為の問題すなわち客観的に判断できることだから、そこに「心から」という個人の主観をあてても何の説明にもならないのである。
最初の発言に戻ろう。
このように考えると、「おわびを申し上げたいと思います」という言い方は、ますますもって何が言いたいのかさっぱり分からない。「〜したい」という願望、「〜と思う」という感想など余計かつ意味不明なものがたくさんくっついている一方で、肝心の謝罪が無い。どこにも無い。
つまりこの発言は、誰かに向かってわびるようなふりをしながら、自分の願望と感想を述べているだけなのだ。いや、わびるどころか、むしろわびるのを徹底して避けているようにしか聞こえないのである。
「信頼回復に努める」の構造
「信頼回復に努める」、政治家や企業が時々こんな言葉を使う。不祥事に関する記者会見のような場面で、もしくは目標として明文化して掲げたりすることもあるようだ。
けれども、その言葉を意味あるものとして積極的に受け取ろうと思っても、そこに意味を見出すことは出来ない。
その言葉のどこをとっても、まともな部分は何一つないのだ。
事が進んだ後で結果的に「信頼されるようになった」ということを内輪でしゃべるのならよいのだが、何かをする前に「信頼回復に努める」ということを公に発言するのは3重に愚かである。
そしてそれを、意味ある発言であるかのように報道する報道機関もまた愚かである。
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〜 屁理屈から理屈を取ったら屁だけが残る 〜
▷ 「がんばりたいと思います」の構造
▷ 思考の止め方、話の止め方
▷ 不要不急を誰が判断するのか?
▷ いじめと言わず、スクハラと言おう