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「がんばりたいと思います」の構造

「がんばりたいと思います」の構造

 スポーツ選手もアイドルも、こぞって言う。

がんばりたいと思います。

 この構造を分析すると、

 がんばり     たい     と思います。
   ↓       ↓        ↓
 (意志)    (願望)      (想像)
 頑張ってる そんな自分になりたい と考えている自分がいる

なにを表明しているの? ストレートに

がんばります

 と言えば良さそうなものなのに、そう言えない事情が何かあるのでしょうか。

「おわびを申し上げたいと思います」の構造

 誰かが記者会見して次のように発言した。

おわびを申し上げたいと思います。

 この構造を分析すると、

おわびを  申し上げ   たい   と思います。
  ↓     ↓     ↓      ↓
(謝罪)   (行動)  (希望)  (感想)
わびた という形を取れ たらいいなと いま思ってるの。

なにを表明しているの? ストレートに

ごめんなさい

と言えばいいのに。。。

 ところで、「おわびします」と言うことは「わびた」ことになるのか?
 たとえば「ラーメンを食べる」という「発言」は「ラーメンを食べる」という「行為」と同じではない。だから「ラーメンを食べる」と発言してもラーメンを食べたことにはならない。
 同様に「おわびします」という発言は「わびる」行為とは違う。「おわびする」と発言しても、わびたことにはならない。
 僕がわびられる立場だったら、

「おわびします」
 ・・(間)・・
「だったら早くわびてよ」
「えっ???」
「あなたがこれから『わびる』と言ったから、僕いま待ってるの」
「たった今、おわびしたよ」
・・(あれっ、いつの間に?)・・

 こんなやりとりになりそう。
 いや、別に「謝ってほしい」わけではないのだが、誰かが「おわびする」と言うなら、少なくとも

ごめんなさい   もしくは   申し訳ありませんでした

そんな発言が無きゃおかしいと私は思うのだ。
 そんなことを考えていたら、別の人がこう言った。

心からおわび申し上げます。

 この「心から」という接頭語もまるでトンチンカン、大きく的を外していることがお分かりだろうか。
 「心から反省する」というならわかる。「反省しているかどうか」は当人の心の問題すなわち主観であるから、これにさらに「心から」という主観を重ねて、当人の心模様をより詳しく語ろうとするなら、それはそれでおかしくない。
 けれども「わびたかどうか」は行為の問題すなわち客観的に判断できることだから、そこに「心から」という個人の主観をあてても何の説明にもならないのである。
 最初の発言に戻ろう。

おわびを申し上げたいと思います。

 このように考えると、「おわびを申し上げたいと思います」という言い方は、ますますもって何が言いたいのかさっぱり分からない。「〜したい」という願望、「〜と思う」という感想など余計かつ意味不明なものがたくさんくっついている一方で、肝心の謝罪が無い。どこにも無い。
 つまりこの発言は、誰かに向かってわびるようなふりをしながら、自分の願望と感想を述べているだけなのだ。いや、わびるどころか、むしろわびるのを徹底して避けているようにしか聞こえないのである。

「信頼回復に努める」の構造

◇ 信頼は、結果としてそうなることはあっても、
  それが目標になることはありえない。
 → 最後に「信頼されるようになった」というならよいが、
  初めに「信頼されることを目指す」というのは不可。

◇ 信頼は、個人の心の状態であるから、
  他人が公に発言するようなことではない。
 → 「私は○○を信頼している」というのはよいが、
  「○○は私を信頼している」というのは不可。

◇  回復は、常態がどういうものかについて
  共通認識が無いときには使えない。
 → 政権もしくは企業が一般市民から信頼されていないのが
  常態であるならば、回復という言葉は意味をなさない。

 「信頼回復に努める」、政治家や企業が時々こんな言葉を使う。不祥事に関する記者会見のような場面で、もしくは目標として明文化して掲げたりすることもあるようだ。
 けれども、その言葉を意味あるものとして積極的に受け取ろうと思っても、そこに意味を見出すことは出来ない。

「信頼」  ← 個人の心情に関することを公に発言する図々しさ
「回復に」 ← 以前は「信頼」があったという勝手な思い込み
「努める」 ← 目標と結果についての根本的な勘違い

その言葉のどこをとっても、まともな部分は何一つないのだ。
 事が進んだで結果的に「信頼されるようになった」ということを内輪でしゃべるのならよいのだが、何かをするに「信頼回復努める」ということをに発言するのは3重に愚かである。
 そしてそれを、意味ある発言であるかのように報道する報道機関もまた愚かである。

◇      ◇      ◇

屁理屈から理屈を取ったら屁だけが残る
▷ 「がんばりたいと思います」の構造
▷ 思考の止め方、話の止め方    
▷ 不要不急を誰が判断するのか?  
▷ いじめと言わず、スクハラと言おう

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