ジャン・ユスターシュ「ママと娼婦」

以前観た印象が全くないのと、4時間近くという長さに尻込みしてしいました。
鑑賞後は余韻に浸って照明が付いてもすぐには立てませんでした。
女優たちの美しさと存在感が強烈で、ジャン=ピエール・レオーもいいのですが、彼女たちの印象が強く残りました。
台詞の多さが指摘される映画で、会話がメインで映画を進めていきますが、ほぼフィックスの画の強さも印象に残ります。
最初の愛人との歩道での別れは、ジャン=ピエール・レオーの右背後からのアングルで女が後ろ姿で歩き去っていきます。少し長めの長回しで、通常ならカットが変わるか、フェードアウトですが、レオーが悲しむでもなく表情を変えずに画面を上手に横切りカットが終わります。レオーの淡白な恋多き男という性格が表れていると思わさせる演出です。同時に、そういう小賢しい性格描写ではない映画的な瞬間だと思う瞬間です。
こういう瞬間が多くある映画だと思います。

追記:
ヴェロニカと初めて会う約束をしたカフェ(ヴェロニカは現れないのですが)でのレオーが座って待つショットで画面左隅にずっとカフェの女客(美人!)を画面の中に入れているのはなぜか気になりました。彼女が新聞を読みながら、煙草を喫っている姿が画面の4分の1ほどの大きさで映り込んでいるのは何が意図があったのでしょうか?

また、セルジオ・レオーネの「ウェスタン」の広告が載っている新聞をレオーが読んでいるのも、ニヤリとさせられる。
ブレッソン「白夜」の女優が映画の最初に振られる女性を演じていたり、「ブレッソンの映画に出ていた女優だからという理由で、ある女性を好きになる」というオチも付いている。

ジャン・ユスターシュは、映画ファンにとってなかなかやっかいな監督だと思わさせる(どれだけ映画のことを知っているかを観客に問いかける)細部ですね。

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