愛される必要のない場所で愛されようとした


カレン・カーペンターの歌声はそっと沁み込んでくる。

心があらゆる情報をシャットアウトしているときでも、そっと沁みてくる。

こっちへおいでよと引っぱってくるものじゃなく、ここにいるからいつでも来たいときにおいでと言ってくれるもの。

そういう人やもの、多くはないけど世界に存在する、回復の泉みたいに。


カーペンターズの歌でいちばんすきなのは

I need to be in love。

邦題は「青春の輝き」なのだけど、
輝き…かなぁ。

この和訳を考えた人は幸せな人なのかも。

わたしの耳には求めてる愛情がこの世界にないことに気づきつつある女性の苦しみと小さな希望の歌に聞こえる。


サビの最後のほうに

I know I ask perfection of a quite imperfect world(わたしは不完全な世界で完璧な愛を求めたのよね)

という歌詞があるのだけど

わたしには

愛される必要のない場所で愛されようとしたのよね

そう言っているように聞こえてしまう。


たとえ歌詞の意味がわかったとしても音とふんいきで違う意味に聞こえてしまうこと、

日本語の歌だとないけど洋楽だとたまにある現象。


わたしたち、愛される必要のない場所で愛されようとしたのよね。

だから痩せて食べて笑って、愛されようとしたのよね。


わたしたち、ただ愛される人になりたかっただけなのよね。

そう囁いているように、聞こえてくる。



周りにとって都合のいい自分でいることがちっちゃい頃からあたりまえだったから心がしんじゃってて

相手に都合よく利用されていても違和感を持てず

のちのちになってくやしいきもちがやってきた。

くやしいきもちがやってくるのに時差があった。


のちのち悔しくなる。

なんであんなやつにあんな顔しちゃったんだろう。なんであんなやつにあんな言葉あげちゃったんだろう。

なんであんなやつらに与えてしまったのだろう。

なんで。なんで。なんで。


自分で自分を蔑ろにしてしまったような罪の意識を感じてしまう。

他人にどう思われてもいいけど

自分で自分を裏切ってしまったのではないかと思うことがたまらなく悔しい。


だけどカレン・カーペンターの歌声はそんなわたしのことをそのまま包み、否定せずにただ「わかるよ」と言ってくれている気がする。


わかるよ。

あなたはただ愛される人になりたかっただけなのよね

わかるよ。

だれに愛されるやどこで愛されるかは関係なく

ただ、愛される人になりたかったんだよね


そう言ってくれているような気がして

そこには正解も不正解もなくて

わたしはただわたしのまま丸をされたきもちになる。


あなたは自分を欺いてきた人でも安売りしてきた人でもないよ

あなたはただ心のある人だったの

人に与えられるだけの心のある人だったのよ


与えてきたものの見返りが手元に残らなくても

それは

手にする報酬が目に見えるものじゃないから。

あなたの報いは、目に見えない形でやってくるから

あきらめないで、そのままのあなたでいてください。


そう囁いてくれているように、聞こえてくる。





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