HSPにはダウンタイムが必要だ


わたしがHSPというコトバを知ったのはもう6年くらい前のことで


多くのHSPの人たちといっしょで、HSPの概念を知ってからはずっと抱えてきた荷物の置き場所が見つかったようなきもちだった。


治さなきゃいけない、どうにかしなきゃいけないと教えられてきた敏感な気質がわたしの個性そのものなんだと思えるようになり


自分を大事にすることが人生のてっぺんに置かれるようになった。


HSPを知った当初は、これまた多くのHSPの人たちといっしょで自分の「取扱説明書」的なものをいっぱい考えた。


それは今もそうだけど


あの頃に比べると今はそれほど自分がHSPだということを意識しないで暮らしている。

それは、意識しなくてもいい環境にいるからだと思う。


他人と比較すると自分の敏感さが浮き彫りになるけど、そうじゃない環境にいれば、これがただ自分にとっての「ふつう」だから。


一歩外に出たり、人と話したりすると、ああ、やっぱわたしって敏感なんだなぁと思う。


たまにそのことを忘れちゃうから、なるべく自分を紹介する部分にはHSPと入れるようにしてる。


あくまでわたしを説明する一部だけど、芯を食ってる大事な部分だから。



以前はいっぱい項目があった自分の「取扱説明書」。

今はわりとシンプル。


🐸静かな環境で暮らす

🐸ひとりの時間をいっぱい過ごす

🐸睡眠と食事は十分にとる

🐸波長の合うものを側に置く

🐸モヤモヤを流せないとき、溜まってるときはダウンタイムが必要


シンプルだなぁとおもう。


特に年々感じるのは「モヤモヤを流せないとき、溜まってるときはダウンタイムが必要」で


これって世の中でいいとされてる「いやなことを考える時間がムダ」「笑い飛ばしちゃえ」とは真逆の考えだからよく忘れちゃうんだ。


たしかに流せたらどんなにラクだろうとおもうし、中にはさらっと流せることもあるけれど


それでもやっぱりわたしは流せずに体の中に溜まっていくことが多い。


だからいやなことがあったら「あーやだな」って感じて必要なときには大粒の涙を流す。そういうダウンタイムを取らないとどんどん体に溜まってパンクしておかしくなってしまう人だな自分は。っていうのを痛感している。


起こったデキゴトを流せる人とそうじゃない人の違いって、起こったデキゴトを体の中に入れるタイプか入れないタイプかだと思うんだ。


体の中に入れて感じるか、入れないで表面を滑らせて終わるか。


どっちがいいなんてことはもちろんないけど


HSPの人たちは起こったことを体の中に入れてじっくり考える人感じる人が多いと思う。


だけどそれをしてるとどんどん体のエネルギーが消耗されていく。


心のどこかしらにくすみがたまっていくのを感じる。


だからダウンタイムを取って自分の中をきれいにする必要があるんだと思う。ちょうど定期的に空気清浄機を掃除するのと同じように。


HSP気質の人は空気清浄機だと思う。


世界の空気清浄機的な役割だと思う。


ダウンタイムはあくまで自分のためのダウンタイム。


いやな人のことを思い出して泣いたとしてもその人のために時間を浪費しているわけじゃない。


自分のための、自分を造る時間。


自分の内側と外側を労わる時間なんだって思うと、いくらでもダウンタイムを持っていいよって思えるようになる。


ちなみにわたしはずっとダウンタイムのdownを「落ちこむ」だとおもっていたからダウンタイムのことを「落ちこむ期間」だとおもっていたんだけど単純に「停止期間」って意味なんだね。


ビートルズに引っぱられた。🐸?


まあでもわたしにとって落ちこむことはイコール落ち着くこと・リラックスすることだからあながち間違っていないのかも。


月に半分以上、ときには週に半分以上がダウンタイムなこともあるけど


これがわたしの生物としての適切なリズムなんだと思ってる。



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部屋着をクレヨンしんちゃんに新調したよ。



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