たばこが美味しい人間になりたい
二十歳くらいまで、大のたばこ嫌いだった。
臭いし、美味しくなさそうだし、灰が散って汚いから。煙を吸って吐くことの楽しさが全然わからないから。
たばこ嫌いに拍車をかけたのは、高校の時に友人が吸ったのを自慢してきたことだった。
先輩と吸ってさ、と得意げに銘柄の話をしてきた。それまで確かに仲が良かったはずなのに、急激に好意が冷めていく感覚があったのを覚えている。
嫌いでなくなったきっかけはつまらないもので、大学の時、セフレだった男が吸い始めたからだ。
自分で吸うようになったきっかけも、そいつに彼女ができたからだった。
その事実を知った日に、コンビニで初めて箱を買った。
ナチュラルアメリカンスピリット、メンソールワン。前にそいつが、「吸ってみる?」と、一本だけくれた銘柄だった。
初めて自分で買ったたばこに火をつけた時、上手く燃焼させられず、側面を丸焦げにした。なんとか火をつけて、勢いよく吸って、むせた。一人きりで涙が出たし、苦しかった。
それでも買ったことに後悔はなかった。たばこを吸うことで、慰められているような気持ちになろうとした。感傷に浸るために、むせながら、毎日数本ずつ吸った。
買って一週間経つ頃には自然と、次にどの銘柄を買おうか考えていた。
吸い始めてしばらくは、種類を変えながらアメスピを買っていた。他の銘柄と吸い比べたりして、好みじゃないと気づいてからはめっきり買わなくなった。
最近買う銘柄は、ほぼ数種類に決まっている。
普段はキャスターの五ミリ、少し気が大きくなっている時はピースのアロマクラウン、ほどよく無気力な時はセブンスターかロングピース。
甘さがある方が好きなので、いつもそういう銘柄を買う。
あれからずっと、毎日たばこを吸っている。
惰性でも付き合いでもなく、自分が吸いたくて吸っている。
香りに違いがあることを知った。味わい方を覚え、美味しさを知った。美味しさが分かると同時に、美味しくない時があることも知った。
たばこの美味しさは、体調や精神状態に比例する。
ひと仕事終えて達成感に満ちている時や、気心の知れた友人と飲みながら吸うたばこは、とても美味しい。
夕方まで無為な浅い睡眠を繰り返して、倦怠感と自己嫌悪の中で吸うたばこは、美味しくない。
たばこが美味しいかどうかは、自分の状態を測る一種のバロメーターなのだ。
最近、たばこの味がしない。
理由は単純で、今わたしがニートで、借金まみれで、返済の目処は立っていなくて、そんな自分に嫌気がさしているからだ。
毎秒動き続ける世界の中で、停滞したまま生きている自分を他人事のように認識している。
どれだけ冷静ぶって分析したところで他人事ではないから、時間とともに負債だけが膨れ上がる。負債をおんぶして吸うたばこの味は、美味しくない。
一応、この春から就職が決まっている。だから、返済の目処がないわけではないといえば、そうなのかもしれない。楽観的になれば、就職の事実だけで十分美味しく吸えそうなものだ。
しかし、消せない自分への不信感が、たばこの味をなくすのだ。
数年前、一ミリでむせたあの頃から、変わったようで何も変わっていない。わたしは未だに、感傷でたばこを吸っている。
「どうせすぐに逃げ出す。数ヵ月後にはまたニートになってる」
そんな疑念を拭えない。
「春には美味しく吸えるようになってるはず」
そんな希望を捨てられない。だから、味のしないたばこを吸うのをやめられない。
今はもう、喫煙者というだけで煙たがられる時代だ。吸っていても、いい事なんて一つもないのかもしれない。
それでも、わたしはたばこが美味しい社会人になりたい。
そうなれた時には、自分への不信感も少しずつ消せる、ような気がするから。
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