見出し画像

Beyond the limitation

スーパーマンになれない僕らには、必ず限界がある。

努力を重ねれば全領域を超えて戦える存在になれると信じていた時期が僕にもあった。総合診療と言うフレームを外科に導入して、腹だろうが胸だろうが頭だろうが自分でオペする医者になりたいと思っていた。

でも、現実は違う。一つは各領域の深さだ。プライマリーな部分は比較的全領域に精通しているが、より深いレアケース診断とかコントラバーシャルな治療の選択とか、自分が踏み込めない、もしくは、踏み込んではならないものを感じる。多分、やってできない事はない。9割は正解を導けるだろうと思う。でも、1割を間違えるなら、その診療を非専門家が受け持つ事は正しくない。

勿論、専門家も間違える。人間である以上、何ともならない不正確さを理解して向き合わねばならない。でも、専門家が死力を尽くして結果不正解であることと、僕らの最大努力が及ばない事は、全く意味が違う。

つまり、もう一つ、コンテクストやメディア力の問題からは僕が全てを担う事が難しい、と言う結語になる。

最後に、希少性と継続性の問題が立ち塞がる。仮に僕が全て自分でやれる総合外科医になったとして、結局一人では治療できない。前立ちは?術後管理は?自分のキャパシティーが患者のアウトカムや治療選択に直結する環境は正しくない。

では、境界と限界は、ありのまま受け入れるべきか?

答えはノーだ。医療は絶えず変わる。その原動力は、今までできなかった事ができるようにしたい、と言う核心を望んだ先駆者達の熱意だ。自分の技量も、絶えず進化させなければならないし、新しい何かが他科との境界を再定義していく。全てが担えないとしても、担える範囲は広がっていく。

ブラックジャックになれない僕らは僕らなりの現実を抱えて生きていく。

今日は昨日より良い仕事をしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?